茶粥(ちゃがゆ)

イメージ 1

[エッセイ 301]
茶粥(ちゃがゆ)

 たちばな会総会のお土産に、ナマコとほうじ茶をいただいた。ナマコはもちろん生で、すぐ食べられるよう調理されている。ほうじ茶は、茶粥用に粉に挽いたもので、茶袋もセットされていた。ナマコといい、ほうじ茶といい、ふる里のかおりがたっぷりと詰まった逸品である。
 
 茶粥は、わがふる里の郷土料理である。茶粥は近畿地方が本場と思っていたが、ヤフー百科事典には“山口県の郷土料理”と紹介されていた(茶粥の項は、日本大百科全書・多田鉄之助氏記述から引用されたもの)。しかし、もとは奈良の僧坊で食べられていたものが広まったそうなので、奈良、和歌山、あるいは京都あたりが本場といっても間違いではなさそうだ。

 私たちが子供のころ、茶粥に使われていたお茶は、地元で“豆茶”と呼ばれているものであった。通常、豆茶というと“なた豆茶”のことを指すようだが、わが豆茶は“はぶ草茶”と呼ばれるものである。エビスクサ(夷草)という薬草の種を焙煎したもので、たいていの農家で自家用に栽培していた。

 釜に半分くらい水を入れる。そこに、“豆茶”の入った子供の握りこぶし大の茶袋を浮かし水から煮たてる。湯が濃い茶色になったところで米を投入する。インターネットなどのレシピでは洗った米とあるが、わが家ではそのまま投入していた。吹きこぼれない程度の強火で、米がふっくらと柔らかくなるまで煮る。米1合で茶碗6~8杯分の茶粥ができる。

 サラッとした口当たりと、香ばしいお茶の風味がなんともいえない。おかずは佃煮や漬物程度で十分である。栄養バランスのことを考えないですむなら、豪華なおかずはむしろ邪魔にさえなる。熱いうち、サラサラのうちに食べるのがいい。冷めて伸びてくると極端にまずくなる。もっとも、真夏に冷やした茶粥をいただくのも悪くはない。

 昔、わがふる里では朝食は茶粥が普通だった。食料難の時代だったので、下手をすると昼食も、場合によっては夕食も茶粥ということもあった。それでも米が足りなければ、サツマイモが入れられることもあった。入れられることもあったというより、たいていは入っていた。

 もともと茶粥が普及したのは、米不足を補うのが目的だったと伝えられている。岩国の吉川公はそれを強く推奨したともいわれている。それでも足りなければ、代わりのもので水増ししなければならないのは当然である。腹はブクブクに膨れたが、いっときも経たないうちに空腹をおぼえてきたものだ。お粥だけではあまりにも腹もちが悪いと、お粥の下に冷や飯を敷くことも多かった。

 いま、こうして嗜好食として茶粥をいただけることに無上の喜びをおぼえる。
(2011年3月7日)