大雪(たいせつ)

[風を感じ、ときを想う日記](1295)12/8

大雪(たいせつ)

 

 短い秋があっという間に通り過ぎ、寒い冬が大急ぎでやってきた。北の地方での大雪(おおゆき)も伝えられている。昨7日は二十四節気でいう大雪(たいせつ)に当たっていたが、暦と現実の天候がまさにドンピシャと一致した格好である。そんな冬到来のニュースに、わが家も寒さ対策に乗り出すことになった。といっても、ストーブを2台、物置から引っ張り出しただけのことであるが。

 

 一つは、居間の暖房がエアコンだけではどうにも物足りないので、ガスストーブを補助役にしようということである。すでに、ソファの足元にホットカーペットを敷き、コタツ代わりにしているが、それだけではとても間に合わないのだ。このストーブは、取り扱いは至って簡単で暖房効果も大きい。ただ、電気コードとガスホースを床に這わせるため、足に引っかけないかと一抹の不安がある。

 

 そしてもう一つは、浴室の脱衣所に電気ストーブを設置したことだ。ここでのヒートショック事故を防止するためである。歌手・タレントの中山美穂さんが浴槽で亡くなったそうだが、彼女もそれによるものではないかといわれている。古い木造家屋で浴室まで完全暖房というのは難しいが、せめて脱衣所くらいは少しでも温かくしておこうということである。

 

 高齢となり、すっかり寒がりになってしまった。かといって、いきがっていても誰も助けてくれないので、暖房器具のお世話になることにしたしだいである。

老人福祉センターが閉鎖される?(その2)


[エッセイ 698]

老人福祉センターが閉鎖される?(その2)

 

 あの老人福祉センターで、Cサークルの役員を務めている家内からこんな話があった。「会員が減ってきたので、例年どおり新入会員の募集を始めるつもりでいたが、閉鎖の噂があるので今年は止めようかと思っている」と。私は、「とんでもない、噂などに惑わされて、活動を縮小すべきではない。新陳代謝はいつの場合も必要で、今年も募集すべきだよ。ぎりぎりまで頑張れ!」と返した。

 

 まさか、当市だって、みんなが諦めて、自然消滅を待つようなことはしないだろう。もし噂のように、本当に閉鎖するつもりなら、手順が違うのではなかろうか。閉鎖を本気で考えるなら、新しい方向性と具体的な手順を明示し、みんなが希望を持ってそれに協力できるよう導くべきである。

 

 ここで、高齢者福祉のあり方について、あらためて考えてみよう。高齢者福祉には、大きく三つのかたちがあると思う。一つは、高齢者を早々に見捨て、生きることを諦めさせてしまう“姥捨て山型”福祉、二つ目は、金をかけ手間をかけて、しっかりと面倒を見る“受動的義務型”福祉、三つ目は、ピンピンコロリを自力で究めるように仕向ける“能動的支援型”福祉である。あの老人福祉センターの機能は、まがりなりにもその三つ目の能動的支援型福祉に当たっている。

 

 ところで、例の「センターの今後にむけての説明会」だが、第2回目が11月20日14時から一時間弱行われたそうだ。“そうだ”というのは、今回は掲示板にA3用紙で告知しただけで、役員以下みんなには積極的には知らせていなかったのだ。たまたま、それを見て参加した親しい知り合いが、そのときの様子を教えてくれた。あわせて、その会合の説明資料も持ってきてくれた。

 

 市からの出席者は4名、傍聴者は12名、ちなみに用意されていた傍聴席は15席くらいだったという。内容を要約すると、今後、当センターの建替えや改装による延命化の予定はない。代わりに、周辺既存施設の高齢者福祉機能を拡充してそちらに吸収する。市ではこれを、全世代を対象とした「共生型」と称している。例にあげたのは、B荘を近くの市民センターへ集約する計画である。

 

 この説明会からは、みんなに広く納得してもらおうという気持はまったく伝わってこなかった。形だけ完璧に整え、ジワジワと首を絞めていくようなやり方に見える。高齢者福祉のスタイルでいうと、上記三つのやり方のうちの二番目に相当するようだが、実際以上に後ろ向きで陰湿な印象を受けてしまう。

 

 利用者たちは、長い人生をわたってきた人たちである。膝を割って誠意ある説明をすれば必ずわかってもらえる。まして、前向きな姿勢であれば、むしろ積極的に協力してくれるはずである。今からでも遅くはない。結論は同じでも、過程が前向きであれば、結果はそれ以上に価値あるものとなるはずである。

                      (2024年12月6日 藤原吉弘)

給湯器の点検ですが・・

[風を感じ、ときを想う日記](1294)11/30

給湯器の点検ですが・・

 

 ♪リン・リン・リン・リ~ン♪。「ハイッ!・・・・」。「・・・・・もしもし、○□会社ですが。給湯器の点検は来週の火曜日でいいですか?」「なんの話ですか!いっている意味がまったくわかりません。だいたい、さっき・・」。「ガチャン!・ツーツーツーツー」。今日、11時半頃かかってきた電話の応答記録である。

 

 最近、かかってきた電話では、先方は沈黙したまま、しばらくなにもいわないことがある。元気よく出ると、そのまま切られることもある。受けた電話で、ハィ!以外なにもいわないでいると、先方はいたたまれなくなったように、もしもしといいはじめる。どう考えても、当方の様子を窺っているようにしかみえない。男か女か?年齢はいくつくらいか?高齢で多少ボケがあるか?家庭内には一人だけか何人かいそうか?あるいは留守か、などを探っているようである。

 

 従来は、「以前、給湯器を清掃させてもらった会社ですが」とか、「シロアリ対策をやらせてもらった会社ですが」など、かつてその会社を利用したかのような表現で話しかけてくることが多かった。最近は、無言のまま、なにか様子を窺っているようにしかみえないものが多くなってきた。

 

 わが家では、かかってきた電話には出るが、知り合いの人以外は、話に一切乗らないことにしている。世論調査やアンケートはもちろん、たとえ警察や役所からでも・・。必要な場合は、すべて相手の番号を聞いて折り返すことにしている。

 

注)写真1枚目はご近所の庭に咲いた十月ザクラ。

三十日月(みそかづき)

[エッセイ 697]

三十日月(みそかづき)

 

 昨日の朝、6時過ぎのことだった。雨戸を開けて空を見上げると、限りなく痩せ細った下弦の月が、暗さの残る暁の空にくっきりと浮かんでいた。その細身の姿に、思わずある洗剤メーカーの古いマークを連想してしまった。顔の向きが逆なのが気になったが、それでもおとぎ話に出てきそうな美しい姿をしていた。

 

 急いでカメラを持ちだし、その月の美しい姿を追った。しかし、被写体があまりにも遠方にあるため、なかなかピントが定まらず何度もシャッターを切り直すことになった。それでも、この日の月は、その輪郭といい、暗さの残る背景とのコントラストといい、申し分ない感動的な場面を提供してくれた。

 

 ところで、昨11月28日は、旧暦ではちょうど1カ月ちがいの10月28日となっていた。月齢は新月のゼロから始まるため、この朝の月は1日ずれて“27日の月”と呼ぶことになる。その月は、月齢の変遷とともに愛称も変わってくる。月齢2日の「三日月」、12日の「十三夜」、そして14日の「十五夜や満月あるいは望月」、15日の「十六夜」など、19日まではほとんどの月に愛称がある。

 

 ところが、20日を過ぎると、その愛称は22日の「二十三夜」、25日の「有明の月」、29日の「三十日月(みそかづき)」くらいしか見当たらない。昨27日の月には、もちろんどこを探しても愛称など見当たらない。あえて呼ぶとしたら、そのほほえみの口形から、スマイルムーンとでもしておこうか・・。

 

 それはともかく、この朝の晴天は夜までつづき、洗濯物は気持ちよく乾いた。寝具類も長時間、たっぷりと干すことができた。そのフワフワの布団にくるまり、昨夜はぐっすりと眠ることができた。おかげで、今朝6時前の寝起きも、爽快そのものだった。そうだ、今朝もあの月が見られるかもしれない!そっと雨戸を開けてみた。南の空には、極細の月がうっすらと浮かんでいた。

 

 急いでカメラを持ちだし撮影に臨んだ。ところがそのとき、大きな雲の塊がやってきて、その被写体を覆い隠してしまった。仕方ない、あれが通り過ぎるまで待つしかない。しかし、空はどんどん明るくなっていく。早くしないと、明るさで月が見えなくなってしまう。いらいらしながらその雲の塊の通過を待った。やっとチャンスがやってきた。時計の針は6時18分を指していた。

 

 かくして、旧暦10月29日、月齢も29日、今月目にすることのできる最後の月「三十日月(みそかづき)」を堪能することができた。明日は、月は姿を隠したままの闇夜となり、「新月」と呼ばれて月齢はゼロから出直すことになる。

 

 ところで、月の愛称にも現われているように、日本人は満月から少しずつ欠けていくときの姿に愛惜の念を覚えるようだ。それでも、満月に向かって日々膨らんでいく若い月の姿にこそ、新しい希望がたくさん持てるのではなかろうか。

                     (2024年11月29日 藤原吉弘)

近場の紅葉狩り

[風を感じ、ときを想う日記](1293)11/22

近場の紅葉狩り

 

 今日は、久し振りによく晴れ上がり、おまけに気温もどんどん上がって、小春日和と呼ぶに相応しいお天気となった。こんな時は、身近なところでも、紅葉が結構楽しめる。早い話がわが家でもだ。その、猫の額ほどの庭には、申し訳程度にモミジが一本植えられている。脇から眺めればなんでもないただの木の葉っぱだが、逆光に透かしてみると、青空をバックに見事な紅葉に変身してみせる。

 

 かくして、庭下駄のまま近所の公園まで足を伸ばしてみることにした。そこでは、幾種類もの紅葉が楽しめるはずだ。一番期待していたのはモミジだが、こちらはわが家のとは種類が違うらしく、葉っぱはまだ青々としていた。それに代って、サクラやケヤキが美しく色づいていた。圧巻はモミジバフウである。大きく育った5本の姉妹たちが、それぞれに色合いを競い合ってる真っ最中だった。

 

 近場で紅葉見物ができたので、それなりに満足してわが家に帰ってきた。そうだ、あのあたりも見ごろかもしれないと思いついた。二階に上がり、ベランダから遠くの崖に目をやってみた。期待どおり、雑木林の中のハゼウルシが真っ赤に色づいていた。すぐ出直して近くまで行くこともできるが、崖の中腹にあるため、その下に廻って逆光で見物できそうにはないので結局断念することにした。

 

 こうして、わが家のすぐ近場でも十分に紅葉を楽しむことができる。要は、枯れ落ちる寸前のただの葉っぱを、光陽にかざして美しいと思うかどうかだ。

手作り菊花展

風を感じ、ときを想う日記(1292)11/15

手作り菊花展

 

 ついこの間、ザルギクの群落に酔ったと思ったら、今度はご近所で大菊のショーに出会うことができた。個人のお宅だが、ご主人が春から丹精込めて作り上げられたものの

ようだ。花の形は、伝統的な巨大な一輪咲きと、先の巻き上がった無数の細い管を周囲360度に向けて勢いよく伸ばしたものの二種類がある。前者は黄色、後者は黄色とピンクの二色がある。

 

 これらの姿形は、野に咲く小菊たちとはまったく趣を異にした手作りの“芸術作品”である。まっすぐ伸びた茎の先端に、花は一輪しか付けられていない。周りにあった小枝は、早い時期にすべて切り落とされ、一番優秀と思われる花芽一つだけが大切に育て上げられたのであろう。それらが幾鉢も庭先に並べられ、道行く人たちの目を楽しませてくれている。

 

 こうした手作りの立派な菊を見るために、かつては寒川神社や大船フラワーセンターなどの菊花展によく出かけたものだ。行けば、もちろん素晴らしいもので、わざわざ出かけただけの価値はある。一方、ご近所の菊はそれらにくらべると多少評価は下がるかもしれない。しかし、本当の手作り作品だけに、努力の跡がにじみ出ており、プロの作品に倍する暖かさと満足感を得ることができる。

 

 ここまで育てるには人知れぬ大変な苦労があるだろうが、これからもぜひ菊作りに精魂を傾けてもらいたいものだ。

ザルギクが満開に


[風を感じ、ときを想う日記](1291)11/11

ザルギクが満開に

 

 ザルギクが、各地で満開になった。正式にはざる菊と書くのかもしれないが、確かなところはわからない。この種の菊は、株がざるを伏せたような形になることからそう呼ばれているらしい。直径50センチから1メートル近い大きな株である。その株の外側を覆うように、小さな花がびっしりと付いている。

 

 咲いている花の色は、赤や黄、あるいは白とさまざまだが、株ごとにはどれか一色である。それらの株が縦横に整然と並べて植えられている。列ごとに赤や白に区分けしてみたり、一株ごとに色を変えてみたりと、色のコントラストを楽しめるのがこの菊の特徴でもあるらしい。

 

 毎年見物に訪れている近くの菊畑は、わが家から歩いて10分少々のところにある。ここでは、一列あたり20株くらいは並んでいる。それが、赤の列、黄色の列と並べられている。ところによっては株ごと、交互に色を変えているところもある。住宅街のど真ん中だが、その一角だけは別世界である。

 

 昨年は一列ずつ飛ばして植えられ、赤や黄のほかに白もあった。列の間には、たしか野菜の列があったように思う。初めて見かける光景だったので、ひょっとして、この年で菊畑としては最後にするのかもしれないと心配もした。それでも、今年は元の形に戻し、ザルギクだけの、それも赤と黄色に絞っての、見事な光景を演出してくれている。