高齢者スポーツ大会

f:id:yf-fujiwara:20211021132413j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211021132510j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211021132604j:plain[風を感じ、ときを想う日記](1068)10/21

高齢者スポーツ大会

 

 前夜の冷え込みがうそのような穏やかな晴天だった。なんの予定のない人でも、とてもジッとしていられそうにない好天だった。その昨日は、「令和3年度 藤沢市高齢者スポーツ大会」というイベントが開かれ、私も“選手”の一人として参加させてもらった。まさに、“天高くスポーツの秋”真っ盛りである。

 

 スポーツ大会といっても、ゲートボールとグラウンド・ゴルフの2種目だけ、私も、選手といっても単に人数あわせで加えてもらっただけのことである。そうはいっても、さすがは市主催の大会である。市長と、市議会議長が挨拶に立った。なんだか急に格式ある大会に思えてきたから不思議である。

 

 かつては300名近い人が集まっていた。しかし、こんな厳しい状況下なので、今回は半分ほどに抑えられていた。その分、進行はスムーズに運び、淡々とプレーを楽しむことができた。これで成績もよければもっと楽しくなったはずだが、力みすぎてか普段どおりの“実力”を発揮することはできなかった。

 

 この大会でとくに際立っていたのは、90歳を越えている人が男女各一名ずつ含まれていたことだ。主催者側も、その辺を配慮してか特別賞を用意していた。もちろん、90歳間近かの人もたくさん参加しており、80歳代前半の小僧などまだまだ若手で通りそうなメンバー構成だった。

 

 そんなことから、高齢者が元気で活動できる社会にあらためて感謝したい。

十三夜の月

f:id:yf-fujiwara:20211018193032j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211018193143j:plain[エッセイ 608]

十三夜の月

 

 中秋の名月を堪能してから1ヵ月、今度は十三夜の月も楽しむことができた。先日の土曜日までは、暑ささえ感じさせるほどの高温の日が続いていた。それが、日曜日になるとお天気が崩れ、気温はどんどん下がっていった。そして、十三夜に当たる月曜日には再び晴天を取り戻し、名実ともに秋晴れのさわやかな日和となった。おかげで、十三夜の名月は納得のいくまで楽しむことができた。

 

 真円形になるまでに、まだ2日かかるという十三夜の月は、左側がまだ完全な形までには膨らみきれていなかった。それでも、果てしなく奥深い真っ暗な夜空にぽっかりと浮かび、青白い光を煌々と放っていた。目の前にススキの穂でもあれば、その眺めにもいそう風情が加わるというものだが、この寒さでは戸外でゆっくり月を楽しもうという気にはなれなかった。

 

 昔から、「中秋の名月を見たら、十三夜の月も同じ場所で見なければならない」と言い伝えられている。もし、十五夜の月は見られたが十三夜の月は見られなかったということになれば、「片見月」となって縁起が悪いということになるそうだ。元々この時期になると、「十三夜に曇りなし」といわれるほどお天気が安定してきて月を見られる確率が上がってくるそうだ。それができなかったということは、よほどツキがなかったということになるようだ。

 

 中秋の名月は一年で一番美しい月といわれている。そして、その次に美しいのが旧暦9月13日夜の月だそうだ。そんなことから、単に十三夜の月といえばこの旧暦9月の月を指すことが多いいそうだ。そして、中秋の名月が「芋名月」と呼ばれているのに対し、「栗名月」や「豆名月」あるいは「後の名月」などと愛称もたくさん付けられて多くの人に親しまれているようだ。

 

 中秋の名月を楽しむ風習は中国から伝わってきたようが、十三夜の名月を楽しむ習慣は日本で生まれたらしい。平安時代醍醐天皇あるいは宇多天皇のころにその起源があるといわれている。十三夜の月の下、月や星に魅かれてその想いを和歌や俳句に託したのだろう。そんな雰囲気では、明るすぎる満月より、やや明るさの落ちる十三夜の方が好まれたのではなかろうか。真円まであと一歩の未完成の魅力が、完璧でない美しさが、日本人の心に響いたのかもしれない。

 

 明治、大正のころは、そうした雰囲気が小説や歌にも好んで取り上げられたようだ。樋口一葉の短編小説「十三夜」や小笠原美都子の歌謡曲「十三夜」がその代表作ではなかろうか。もし、満月を背景にすると、明るすぎて「しょうじょうじのたぬきばやし」の方がぴったりくるということになってしまう。

 

 そんなたわいないことを思い巡らせながらも、今年も中秋の名月と十三夜の月を、併せてめでたく堪能させてもらうことができた。

                     (2021年10月18日 藤原吉弘)

バンザイ

f:id:yf-fujiwara:20211016135440j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211016135516j:plain[エッセイ 607]

バンザイ

 

 衆議院が解散した。これも与党の戦略の一つらしいが、岸田内閣が誕生した10月4日からわずか10日間しか経っていない。逆に、一般議員たちは任期を目一杯努めての退任である。議長が解散詔書を読み上げたとたん、両手を大きく上げて、一斉に「バンザイ」と繰り返し叫んでいた。なかには同調しない議員もいたが、時代錯誤も甚だしい異様な光景としか見えなかった。

 

 だいたいバンザイ(万歳)とは、おめでたいときにやるものではなかろうか。それが、これをもって議員が全員失職というときになんでバンザイなのだろう。まして、いまは大勢いるところでは大声を出さないことになっているはずである。どうみても、やけくその浅はかな行為にしか見えなかった。

 

 そこで、バンザイについてあらためて調べてみた。万歳は、もともと中国で使われていた「千秋万歳」の後半部分である。万歳は、一万年という皇帝の寿命を示す言葉で、本来皇帝に対するとき以外は使われなかった。日本では、1889年(明治22年)2月11日、日本帝国憲法発布の日、青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって万歳を三唱したのが始まりだそうだ。

 

 そんな雰囲気を引き継いでか、この言葉には戦争の悲惨なイメージが色濃く残っている。それでも、出征兵士を送り出すときには、まだ多少お祝い気分も残っていた。しかし、その後は死に直面するときに発せられる最後の言葉に変わった。神風特攻隊が敵艦に突撃するとき、歩兵が敵に向かってバンザイ突撃するとき、敵に追い詰められて集団自決するとき、さらにはバンザイ・クリフ(サイパン島の断崖絶壁)からの集団投身など暗くて悲しいイメージがつきまとう。

 

 ところで、バンザイと似たような語句は西洋にもあると聞き、いろいろ調べていたら“Viva La Vida”という言葉に行き当たった。スペイン語あるいはイタリア語で「美しき生命」という意味で、“生きていることバンザイ”というときにそう叫ぶそうだ。そしてなにかを称えるとき、”Viva la ○○”と、○○の部分に国名や人名などを入れてそう叫ぶようになったという。

 

 そういえば、3年前に発表された五木ひろしさんの歌も、その語句どおり「VIVA・LA・VIDA~生きてるっていいね!~」というタイトルがつけられていた。五木さんらしからぬ歌詞でありメロディであったが、当方も歌の狙いや意味合いもよく理解しないままカラオケで歌っていた記憶がある。

 

 それにしても、バンザイには右寄りのイメージが、そして悲しい記憶がつきまとう。しかし、よく考えてみると、その言葉は人生を応援する心からの叫びが音声となって表われたものといえよう。時と場合をよく見極めて、納得いくときには思い切って“バンザイ”と叫んで見るのも悪くないかもしれない。

                     (2021年10月16日 藤原吉弘)

十月の風

f:id:yf-fujiwara:20211011075807j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211011075902j:plain[風を感じ、ときを想う日記](1067)10/11

十月の風

 

 今月の「ゆうゆう通信」には、巻頭の挨拶として次のような小文を載せた。

 

 ・・・この季節になると、黄色いセイタカアワダチソウの群落が目立つようになってきます。その勢いに、一時は日本中が占領されるのではないかと心配されたものです。しかし、あの黄色い集団はそれほど広がらず、最近は縮小してきているようにさえ見られます。

 

 この花の栄枯盛衰は、アレロパシー、日本語で他感作用という現象によるものだそうです。周りに障害を与え、自分だけ繁栄しようといういうもので、それを一番強く発揮できる植物がこの背高泡立草だそうです。ところが、繁栄しすぎると、自身に跳ね返えってきていわゆる自家中毒に陥り、成長した群落は反転縮小へと向かうそうです。

 

 せっかく、自粛の姿勢を見せ始めているのですから、少し優しく見守ってあげましょう。・・・

 

 あの植物は、アメリカから輸入貨物にくっついてやってきたものといわれている。大変心配されたが、アレロパシーによってひところの勢いを失っている。実は、同じ現象がアメリカでも起きている。日本原産のススキが輸出貨物とともにアメリカに渡り、彼の地で我が物顔に繁栄を謳歌しているというのだ。

 

 植物の世界でも、日米のせめぎ合いが繰り広げられているようだ。

 

注)詳しくは、エッセイ569「セイタカアワダチソウ」を参照ください。

ケイトウ

f:id:yf-fujiwara:20211008103941j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211008104119j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211008104248j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211008104634j:plain[エッセイ 606]

ケイトウ

 

 夏から秋にかけて、色鮮やかな花が花壇を賑わしている。子供の頃から馴染んできたケイトウの花たちである。あの、ニワトリのトサカの形をした花はいかにも印象的である。最近は、トサカ状のものばかりでなく、球状になったものや、槍状に尖ったものなどいろいろな種類の花が現われてきている。色も、あの深い赤だけでなく、黄色や白など様々なものが見られるようになってきた。

 

 ケイトウは、ヒユ科ケイトウ属の1年草である。原産はインドや熱帯地方で、日本には中国を経由して奈良時代に入ってきたそうだ。茎頂がニワトリのトサカに似ていることからケイトウ(鶏頭)と呼ばれるようになった。これは、日本に限らず世界中でそう思われているらしく、英名はcook’s comb、中国名は鶏冠花と呼ばれている。学名はcelosia argentea、ギリシャ語の燃えるという意味合いのkeleosが語源で、あの鮮やかな赤色がもとになっているそうだ。

 

 ケイトウは、夏から秋にかけて花をつける。炎天下でもよく咲く。花持ちはいいが移植を嫌うという。主な種類は、トサカ系(鶏冠鶏頭)-花穂がトサカ状、クルメ系(久留米鶏頭)-花穂が球状、キルドシ系(槍鶏頭)-花穂が槍状、そしてプルモサ系(房鶏頭)-花穂が房状のものなどである。花穂は小さい花の集合体で、花被片5、雄芯5、花柱1の割合で構成されているそうだ。

 

 ここで、ケイトウにまつわる中国の民話を一つ取り上げてみよう。「ある山里の外れに、母親と息子が住んでいました。二人は雄鶏を飼っていました。ある日、息子が山に薪をとりに行った帰りに、道ばたで美しい娘が泣いているのを見かけました。息子は、その娘を保護するために家に連れて帰りました。ところが、雄鶏が激しく鳴いてその娘を追い返そうとしました。

 

 翌朝、息子はその娘を村へ送り届けることにしました。ところが、その娘は途中で鬼女に変身し、口から毒の炎を吐いて息子に襲いかかってきました。娘の正体は、山奥に棲む大ムカデの精だったのです。その正体を見抜き、二人の後をそっとつけてきた雄鶏は、その鬼女に立ち向かっていきました。雄鶏は死闘の末、大ムカデの精を倒しましたが、自身も力尽きて倒れてしまいました。

 

 息子は、自分を守って死んだ雄鶏に、感謝を込めて庭に丁重に葬ってやりました。やがて、そこから草の芽が出て、鶏の鶏冠によく似た花を咲かせました。近隣の人々は、主人のために勇敢に闘った雄鶏の生まれ変わりに違いないと思い、その花を鶏冠花と呼ぶようになりました」。

 

 花言葉は、おしゃれ、気取り屋、風変わり、個性、色あせぬ恋、そして華燭などである。ニワトリ、とくに雄鶏には普段ほとんど接する機会がなくなってしまったが、せめてケイトウくらいはしっかりと愛でてやりたいものである。

                         (2021年10月8日 藤原吉弘)

おかえりキンモクセイ

f:id:yf-fujiwara:20211004174506j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211004174619j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211004174746j:plain[風を感じ、ときを想う日記](1066)10/4

おかえりキンモクセイ

 

 キンモクセイの花が帰ってきた。朝ドラの「おかえりモネ」が終わる頃になって、それと入れ替わるようにキンモクセイの花が帰ってきた。前回、その開花に気づいて写真に収めたのは先月の13日だった。あれから半月あまり、ちょっとその辺を散歩してくるよといって出かけ、きびすを返すように帰ってきたといった風情である。香りは、前回よりいっそう強くなっていた。

 

 わが家のキンモクセイも、やっと本格的な開花にこぎつけた。香りも一人前にばらまいている。前回、9月中旬のときは、花はまばらで香りはほとんどしなかった。どうやら、この木も高齢になってくたびれてきたのではないかとさえ思われた。欲目に見ても、手入れに来てくれた植木屋が、枝を少々切りすぎたのではないかといった淋しさだった。

 

 それが、ここ数日、華やかに咲き始めた。わが家はもちろん、ご近所の花もそうだ。香りも十分満足できるレベルである。この現象、数年前から続いている。昨年もそうだったし、一昨年も咲いたように思う。一年に二度咲きする樹種はほかにもあるが、たいていは春と秋といった具合に季節を跨いで咲くことが多い。それに引き替え、キンモクセイは2週間あまりの間隔で二度咲きしたのだ。

 

 しかし、花はやっぱり一度咲きがいい。パッと咲いてパッと散る。それでこそ、待った甲斐があり、散り際がいっそう惜しまれるというものだ。

秋本番

f:id:yf-fujiwara:20211004105931j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211004110039j:plain

f:id:yf-fujiwara:20211004110147j:plain[風を感じ、ときを想う日記](1065)10/2

秋本番

 

 秋本番、天高く・・といきたかったのに、昨日は終日台風にたたられた。外は朝から大荒れだったが、あいにく市の中心部まで出かけなければならない用事があった。普段は電車を使っているが、駅まで歩くのはとても無理だと思い車に変えた。それでも、駐車場から目的の建物まで傘は差せず、僅か50メートルばかりの間にすっかり濡れそぼってしまった。

 

 10月ともなれば、大陸方面から張り出す高気圧が日本全土を覆い、奥行きのある晴天に恵まれるはずだった。そして、“天高く馬肥ゆる秋”の本番を迎えるはずだった。ところが、高気圧が十分に発達していないと、その隙を突いて昨日のような空模様になってしまうらしい。おまけに、“女心と秋の空”といわれるように、これからもにわか雨に翻弄されることにもなるかもしれない。

 

 翻って今日は、言い伝えどおり“台風一過”の晴天に恵まれた。寒さに震えた昨日に比べ、気温は10度近くも跳ね上がった。肌寒さをこらえてポロシャツ1枚で出かけたのに、気温はぐんぐん上がり、グラウンド・ゴルフのプレー中は“暑い、あつい!”を連発することになった。それでも、好天が人の心を浮き立たせたのだろうか、今日のプレーの参加者はいつになく多かった。

 

 高齢者の会であるグラウンド・ゴルフのメンバーも、その心はいくつになっても未熟な秋の空のままなのだろうか。稔りの秋にはほど遠いのだろうか。

 

(追伸)

 10月2日にこの原稿を用意していたが、入力がうまくいかず解決できないまま今日にいたった。やっと問題が解決したので、2日遅れのそのままの原稿で投稿する。