服喪のとき

イメージ 1

[風を感じ、ときを想う日記](416)2/2
服喪のとき

 なにかに夢中になっていると、時はあっという間に過ぎていく。ところがなにもなくても、時間は同じように過ぎていくことを、いま実感させられている。

 例年なら、1月は新年の行事に心が浮き立つ時節である。七草が過ぎるころ、おもむろに寒川神社に初詣に向かう。新年早々は人出が多く、とてもゆっくり参拝などできないためだ。

 14日になると、各地で「どんど祭り」が行われる。左義長祭とも呼ばれる正月飾りなどを焼くあの火の祭りである。わが家は例年近所の白旗神社にお参りすることにしている。

 このお祭りと前後して、市内の七福神巡りに出かける。市内といっても2日から3日はかかる。車で回れば簡単だが、それでは達成感もありがたみも薄いので、できるだけ徒歩で回るようにしているためだ。

 そして、月が替わると節分が待っている。わが家は、時宗の総本山・遊行寺の豆まきに出かけるのを楽しみにしている。

 いずれの行事も、傍から見ればたわいない騒ぎでしかない。それでも、当事者にとってはそれなりの意義がある。どうせたわいないのなら、一緒にやらなきゃ損である。しかし今は服喪の期間、それでも時間は確実に過ぎ去っていく。