芋煮会

[エッセイ 109]
芋煮会

 ある日、職場の同僚からイモニ会への誘いがあった。「最近よく耳にするけど、そのイモニ会って、ナニ」「来ればわかりますよ。とにかく、おにぎりを人数分用意してきてください」。仙台に赴任した最初の年のことである。

 初秋の日曜日、事務所の前に集合した家族連れの一行は、車列をなして広瀬川を上流へと分け入っていった。玉石を敷き詰めたようなその川原に、大き目の石が拾い集められかまどがつくられた。だれが用意したのか、鋳物の大きな鍋に水が張られ、具材が次々と投げ入れられていく。豚肉、里芋、コンニャク、そしてネギ。白菜やごぼうに大根、それに豆腐も入れられた。それらが煮えたころを見はからって、最後に味噌で味付けされた。

 高い空、色づき始めた四囲の木々、白い石と透きとおる清流。ここには、仕事のストレスや人間関係のドロドロしたものなど一切存在しない。ただひたすら、ササニシキのおにぎりを肴に、芋煮に舌鼓を打つばかりである。数人の有志は、近くの山林に分け入り、きのこを山のように採ってきた。夕食に鍋やみそ汁にすると美味しいそうだ。わが家では、翌日、全員が出勤したのを見届けてから一日遅れのきのこ汁を楽しんだ。

 赤とんぼが飛び交い始めると、鍋と薪と食材と、そして自慢の家族を伴って、とある山あいの静かな川原へとやってくる。身内だけの、水入らずの芋煮会もまたおつなものであった。秋保(あきう)大滝の滝つぼの前など、わが家のお気に入りのスポットとなった。宮城県沖地震のとき用意した携帯用のプロパンボンベが、薪に替わって大いに活躍したことはいうまでもない。いまでも、私にとって、芋煮会を抜きにした収穫の秋は語ることができない。

 この芋煮会山形県で生まれたものといわれている。山形市内を流れる馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)の河川敷が発祥の地といわれているが、最上川羽前長崎の船着場という説も有力だそうだ。山形県の内陸地方では、肉は牛が使われ、調味料にはしょうゆが用いられるという。例年、9月の第1日曜日に馬見ヶ崎川で催される「日本一の芋煮会フェスティバル」は、直径6メートルという鍋のジャンボさですっかり有名になった。

 それにしても、芋煮会とはなんと素晴らしい行事ではないか。高く澄みわたった秋空のもと、一緒に働いてきた仲間や家族が集い、ともに収穫を喜びそれまでの労をねぎらう。仲間同士、家族同士のきずなを確かめ合う場でもある。

 秋になると、山形県宮城県のコンビニの店先には、売り物の薪の束がうずたかく積み上げられるという。環境や風紀の面で多くの課題はあるが、みんなで大切に育てていきたい楽しい行事である。
(2005年11月13日)