仙台への家族旅行

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[エッセイ 518]
仙台への家族旅行

 家族4人で宮城県一周の旅に出た。三世代が揃ったこの歳になると、家族というとどの範囲を指すのだろうと思われるかもしれないが、ここでいうのは我ら夫婦と長女、長男の4人である。

 実は、長男はいま、中東に単身赴任で勤務している。その長男から、ラマダンのとき長期休暇がもらえて帰国する。しかし、自分の家族である妻と子供たちは、ウィークデーはみな用事があって出かけてしまう。ついては、両親と小旅行をしたいと提案があった。

 そこで、長女を誘い、子供たちが小学生のころ住んでいたことのある仙台に行ってみることにした。私たちは、私の転勤で1976年からの5年間、今の仙台市泉区、当時の泉市に住んでいた。そこを引き払ってはや38年が経つ。以来、家族揃ってそちらに足を向けたことは一度もなかった。

 6月3日の月曜日、東京駅で落ち合った私たちは、9:36発のはやぶさ11号で仙台に向かった。仙台に着いた私たちは、かねて予約してあったレンタカーで長距離ドライブに出た。仙台市泉区の当時住んでいた場所と彼らが通った小・中学校、松島、そしてこの日は鳴子温泉に宿を取った。かつて、私の両親が来てくれたとき、一緒に泊まったことのある温泉地でもある。

 翌日は、鬼首(おにこうべ)の間欠泉と鳴子峡を見物した後、山形県側を経由して蔵王に向かった。雲一つない快晴、蔵王の頂上も見事に晴れ渡っていた。「お釜」と呼ばれる噴火口跡の緑色をした池と、その周囲を取り巻く縞模様の黒っぽい地層が見事なコントラストをなしている。周辺にはところどころに残雪も確認できる。家族揃って見物した40年前の思い出が一気によみがえる。

 宮城県側に下って、次に訪れたのは秋保(あきう)大滝だった。かつて、この滝壺の前で、家族だけの芋煮会を何度か楽しんだことがある。そして夕刻、二泊目の秋保温泉に入った。ここでは、少々奮発して由緒ある宿を予約しておいた。佐勘というホテルである。3年前、G7の一環として開かれた、「2016 G7仙台財務大臣中央銀行総裁会議」の会場となったホテルである。

 翌3日目は、仙台市内の思い出のスポットと、東日本大震災の被災地を巡った。青葉城跡、一番町、国分町、青葉通、そして最近できたという羽生結弦君のモニュメントにも立ち寄った。老舗デパートでは、お土産として地元の有名なお菓子類を買い求めた。最後に、震災遺構である「旧荒浜小学校」を訪れた。あの、東日本大震災のときの大津波の爪痕がそのまま無残に残されていた。

 仙台駅に戻った私たちは、牛タン定食で遅い昼食をいただいた。好天に恵まれ、仕上げにそれが食べられればこの旅行は満点になるといっていたが、それも見事に叶った。満足と満腹で、上りのはやぶさ号ではみな眠りこけてしまった。
(2016年6月6日)