家族旅行・こぼれ話

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[エッセイ 519]
家族旅行・こぼれ話

 今回の、家族旅行・仙台編のエッセーで、触れきれなかったことが沢山ある。そのなかから、とくに印象に残ったこぼれ話を四つばかり拾い上げてみた。

 仙台に着いて、最初に訪れたのは子供たちの通っていた小学校である。そこには、小学校の卒業記念に、同級生みんなで残した長女の手形のモニュメントがあるはずだ。それは、当時のまま、いまも道のすぐそばにあった。しかし、長年の風雪で黒ずみ、フェンスの外側からでは名前の部分がはっきりと判別できなかった。校内に入れば、きちんと確認できるのだが、あいにくの授業中で、わざわざお断りしてまで指で触るまでもないということになった。

 次に訪れた松島では、真っ先に五大堂の無事を確認した。瑞巌寺の前庭には、「津波はここまで来た」という表示があった。それでも、五大堂も、その置かれている島も、そして周囲の島々もみな無事だった。北茨城市岡倉天心にまつわる六角堂が跡形もなく流されたと聞いていたので、同じような条件にある五大堂のことをずっと心配していたのだ。松島の代表的なスポット、これがなければ絵にならないところだった。やはり、松島湾の入り口が狭く湾内が広いこと、そして小さな島々が荒波をブロックしてくれたことが幸いしたのだろう。

 翌朝、鳴子から山形経由で蔵王へと向かった。国道47号線で峠を越えると、遠方に月山(がっさん)の優美な姿が現れた。出羽三山の主峰、標高1984メートル、緩やかな丸い形をした名山は、雪をかぶってキラキラと輝いていた。車は国道13号線に入り、両側は一面のサクランボウ畑と変わった。その一方、紅花にも出会えるはずだった。いま、七十二候の「紅花栄」(5月26日~30日)を過ぎたばかりなのだ。途中、村山市の道の駅に寄ってみた。その干した花は売られていたが、花が咲くのは7月だという。暦とはだいぶずれがあるようだ。

 旅の最後に、震災と津波の傷跡を辿ってみることにした。仙台から、海岸沿いを亘理町まで南下してみた。海岸のすぐそばの様子を見たいと思っていたが、どこも防潮堤工事で海すら見ることができない。Uターンして、震災遺構として保存されている旧荒浜小学校にたどり着いた。その屋上に上がって、初めて海岸の様子を見ることができた。かつて、海岸線は松林に覆われ、その内陸側に住宅街が広がっていたはずだ。しかし、いまは荒れ果てた砂丘でしかない。ただ、ポツンポツンと孤独な松の木が散見されるだけだった。

 この3日間、さわやかな素晴らしいお天気に恵まれた。「やはり、普段が大事だよね。どうやら、君たちの出身地であり両親の住所でもある『善行』がさいわいしたようだね」。「僕の、いまの住所も『善福寺』だよ」。「私の住いは『幸区』よ」。4人揃って、めでたしめでたしである。
(2019年6月9日)

写真:上・松島、五大堂の島
   下・旧荒浜小学校の屋上から見た海岸