堂ヶ島温泉

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[エッセイ 162](新作)
堂ヶ島温泉

 眼下に、三つの小島が重なるように並んで見える。その背後、西の空が茜色に染まりはじめた。大き目の座卓には、山海の珍味が次々と並べられていく。もちろん、伊豆の必須アイテム金目鯛の煮付けも、尾頭付きで用意されていた。

 まだ6時前だというのに、私たちのお腹はそれを待ちわびていた。よく冷えたビールが喉に心地よい。西の空はさらに赤みを帯び、3つの島影は黒いシルエットへと変わっていく。しぶきを上げていた海面も、波頭の白さだけが目立つようになってきた。
 
 もう十年も前になる。石廊崎からの帰途、伊豆半島を西海岸沿いに北上した。複雑な形の入江、点在する小島や岩礁、変化に富んだ海岸線はそれだけで故郷の島を連想させるに十分であった。わけても、次はぜひ一泊したいと思せたのがここ堂ヶ島温泉であった。
 
 ホテルの前の、三四郎島と呼ばれる島々は、潮が引くと本土と陸続きになる。「♪海が割れるのよ、道ができるのよ♪」と、珍島物語でも歌われているトンボロ現象といわれるものである。あいにく、滞在時は干潮が真夜中にあたったため、直接目にすることができなかったのが心残りである。
 
 平安のむかし、伊豆の三四郎と呼ばれる源氏の若武者が、平家の追討を逃れてこの真中の島、中ノ島に隠れ住んでいた。治承4年(1180年)、この伊豆に流されていた源頼朝が、ついに反攻のノロシを上げた。

 頼朝の急使は、仁科の豪族瀬尾行信のもとへも遣わされた。三四郎に恋心を抱いていた行信の一人娘小雪は、出陣の書状を抱きしめて三四郎のもとへと急いだ。しかし、折悪しく海の道は途中で上潮に没し、小雪は荒波に飲み込まれてしまった。三四郎島に伝わる一途な娘心が、哀れであり悲しくもある。

 堂ヶ島温泉からの帰途、「恋人岬」という観光スポットに立ち寄った。小さく突き出た岬からは、駿河湾を隔てて富士の美しい姿が望める。もちろん愛の鐘も用意され、恋人たちの幸せを約束する仕掛も忘れてはいなかった。
 
 訪れる人は大半が若いカップルであるが、中年も結構混じっている。若ものたちが腕を組んでいたり手をつないでいるのに、熟年カップルはたいてい前後に離れて歩いている。二人の距離が、ゴールからの経過時間を示しているようで、いかにも日本的なほほえましい光景に見えた。
 
 堂ヶ島は、日本の夕陽百選に選ばれているそうだ。海に沈む太陽は、日本海側ならありふれた光景であろうが、太平洋側では貴重な存在である。茜色はなぜか人をロマンチックにしてくれる。たまには、夕陽を肴にディナーとしゃれこみ、互いの距離を元の位置まで引き戻したいものである。
 (2007年3月10日)

写真は、堂ヶ島の目の前に浮ぶ三四郎島と恋人岬から駿河湾を隔てて望む富士山