洛北の紅葉

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f:id:yf-fujiwara:20211202133854j:plain[エッセイ 613]

洛北の紅葉

 

 京都・嵐山を訪れるのは四度目となる。いつも、渡月橋を渡りかけ、途中で引き返して天竜寺の庭と嵯峨野の竹林を散策するだけで終わっていた。あの渡月橋の向こう側、美しい山の麓はどんなところだろう。そして、あの橋の上流、保津川はどんなに美しい渓谷なのだろう。いつも、足を伸ばしてみたいと思いながらも、結局は心を残したままそれまでの嵐山・嵯峨野の旅で終わっていた。

 

 さらには、京都北部の郊外は、歴史をひもとくといろいろな局面に現われてくる場所である。比叡山からそのあたりを見下ろしたことはある。宝ヶ池の国立京都国際会館までは会社のイベントで訪れたこともある。しかし、それから奥、洛北とは言いがたい郊外までは足を伸ばしたことはない。そんな、一度は訪れてみたいという願望を、今回一気に叶えてくれる紅葉見物ツアーに参加した。

 

 亀岡を出発したトロッコ列車は、保津川渓谷の両岸に迫る崖の中腹を縫うように終点の嵯峨野へと向かった。トロッコといっても、いまでは屋根も窓もある観光列車である。ちょうど見ごろとなった紅葉に感嘆し、保津川の美しい渓流を見下ろしながらの遊覧となった。渓流には、時折船下りの木造船も現われて、素人カメラマンが慌ててカメラを向ける場面もあった。

 

 嵯峨野の竹薮は相変わらず壮観だった。それなりに手入れされているのだろう、わが郷里のミカン畑を占領した孟宗竹とは格式が違うようにさえ思われた。天竜寺の隣にある宝厳院では、ライトアップされた庭園が夜間に公開されていた。青白い照明に浮かび上がる紅葉は、昼間とはひと味違う趣があった。闇に浮かぶ庭園も人工的とはいえ、私たちを幽玄の世界へと導いてくれた。

 

 翌朝、バスは鞍馬山へと向かった。鞍馬寺は、ケーブルカーで登った山の中腹にあった。寺の境内から望むあたりの山々は、緑、茶、そして紅に彩られ、そのコントラストの美しさを遺憾なく発揮していた。あの、鞍馬天狗のイメージとはかけ離れた、別世界の異次元の美しさだった。

 

 そして大原・三千院は、渓流沿いの細い道を上った先にあった。比叡山のなだらかな裾野、のどかな田園地帯のつきるところである。広い寺域にお堂や石仏などが点在し、区域毎に異なる雰囲気を醸し出して、寺全体が大きな公園であるかのような様相を呈している。ちょうど昼時となった。その、門前町にある一軒の食堂でにしんそばをいただいた。なにか、とても温かい心持ちになれた。

 

 今回は、渡月橋の向こう側まで散策できた。保津川も、心いくまで楽しむことができた。そして、小説や歌の舞台となった場所に身を置いて、それらに思いをはせることもできた。いま、それらがやっと自分のものになったという感じである。これからも、心残りの課題を一つひとつクリアしていきたいと思っている。

                      (2021年12月2日 藤原吉弘)