嵐山、嵯峨野あたり

イメージ 1

イメージ 2

[エッセイ 266](新作)
嵐山、嵯峨野あたり

 修学旅行でここを訪れたとき、しばし幻想的な雰囲気に酔いしれた。故郷の景色とは対照的な、それまで目にしたことのない山水の世界が広がっていた。しかも、この日のぐずついた空模様がその雰囲気をいっそう盛り上げていた。

 京都・嵐山の渡月橋は、半世紀を経たいまも変わらぬ姿で私たちを迎えてくれた。あのときと違うのは、この日が初冬の抜けるような快晴であったことだ。橋の名は、亀山上皇(1249~1305)が橋の上空を移動していく月を眺めて、「くまなき月の渡るに似る」という感想を述べられたことに由来するという。

 その渡月橋を、50メートルばかり歩いたところで引き返した。今回も、家内とこの先の嵯峨野をゆっくりと歩いてみたかったからだ。私たちの婚約時代、神戸に住んでいた彼女と京都駅で落ち合い、この嵯峨野を散策したことがある。当時、ここは若い娘たちの人気スポットになっていたのだ。

 途中、天龍寺山門の向いにこぎれいなそば屋があった。時刻はすでに正午を大きく回っていた。せっかく京都に来たのだから、名物のニシンそばでも食べていこうよ。その店のそばは、「どうせ観光地だから・・」などといわせない絶妙の味付けであった。

 足は、京都5山第1位、世界遺産天龍寺へと向かった。このお寺では、嵐山を借景にした水墨画のような曹源池庭園がみものである。朱色の紅葉を飽きるほど見させられた後だけに、緑と水が主役の庭園には心が休まった。

 庭園の裏に出ると、そこには嵯峨野のもう一つのハイライトである竹林が広がっていた。背の高いよく手入れされた竹藪の間を小道が一本通っている。午後の木漏れ日が薄暗い足元をやさしく照らす。竹藪も、こうしてよく手入れされておれば、風情はあっても目の敵にされるような悪役にはなりえない。

 竹林の先には、常寂光寺(じょうじゃっこうじ)や二尊院(にそんいん)といった名刹が小倉山麓に続く。前回来たときはその先の祇王寺まで足を伸ばしたが、今回は集合時間も迫ってきたのでここでUターンすることにした。

 かつては平安貴族の別荘地であったといううらぶれた嵯峨野の風景は、四十数年前とそれほど変わってはいなかった。しかし、あの頃は若い娘さんたちがまばらにやってくるだけだったのに、いまは中年のおばさん達がグループを組んで大挙して押しかけてくる。当時見かけることのなかった人力車も、数十台が大車輪で稼ぎまくっていた。

 豪壮な別荘では十二単の女人たちが小倉百人一首に興じ、近くの堰では平安貴族たちが舟遊びにうつつを抜かす。今風にいえば、嵯峨野とそれに続く渡月橋界隈は、エーゲ海に面した高級リゾート地といったところであろうか。
(2009年12月28日)

写真上:嵐山・渡月橋
  下:嵯峨野の竹林(ちょっと手ブレしている)