月下美人

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[エッセイ 442]
月下美人

 ご近所の方から電話をいただいた。夕食を終え、一息入れているときだった。「いま、月下美人の花が開いているよ。もしご希望なら、なるべく早くいらっしゃい。あと30分もすれば萎んでしまうかもしれないよ」。“月下美人”、名前を聞いただけでゾクッときた。そういえば、テレビなどで見たことはあるが現物に接したことはない。暗くなってから開く白い大きな花、一夜限りの妖艶な花、私にはその程度の知識しか持ち合わせはなかった。

 そのお宅で待っていてくれたのは、ただ一輪の大きな白い花だった。その花は、根元から帯状に伸びた昆布のような肉厚の葉っぱの先から突き出るように咲いていた。手の平を少しすぼめたような形をしている。花弁は幾重にも重なり、花芯はさらに複雑に入り組んでいた。全体に白く、うっとりするような芳香を放っている。一夜限りと聞けばいっそう愛おしくなる。

 それにしてもこの植物、葉っぱの先のようなおかしな所に花をつけている。その土台部分の葉っぱに比べ、花は異様なほど大きく重そうに見える。だいたい、この花はなぜ夜咲かなければならないのだろう。受粉を虫に頼るとすれば、昼間でないと困るのではなかろうか。あたりが暗くなっても活動できるものとしたら、夜の蝶ならぬ蛾くらいしかいないのではないか。

 この植物、実はサボテン科クジャクサボテンの仲間で、常緑多肉の森林植生サボテンの一種だそうだ。原産はメキシコの熱帯雨林地帯という。本来は、森の大木にまとわりついて、樹上から葉状の茎の束を垂れ下げるようにして成長する。着生植物なので、水分は雨水や樹の表面に生えた苔から、栄養分は樹の股や洞に溜まった腐食葉などから吸収する。寄生植物と間違えられそうだが、この植物は場所だけ借りて、水分や栄養は自力で賄うそうだ。

 受粉は小型のコウモリに依存する。花が夜開くのはコウモリが夜行性であり、他に競争相手がいないためのようだ。花が大きく、その土台となる葉状の茎が肉厚なのは、コウモリのホバーリングに耐えられるようにするためだという。また活動範囲の広いコウモリをパートナーに選んだのは、「自家不和合性」といって、他の花の花粉でないと受粉しないためだそうだ。

 もう一世紀も前の1923年、皇太子時代の昭和天皇が台湾を訪れられたとき、「この花の名前は?」と尋ねられた。隣にいた田(でん)という台湾総督が、とっさに「月下美人です」と答えたそうだ。そこからこの名前が定着していったという。もちろんゲッカビジンは正式な名和、言い得て妙な名前である。

 花言葉は、はかない美、儚い恋、繊細、快楽、そして艶やかな美人だという。今夜もどこかで、月下美人が妖しい花を咲かせているかもしれない。
(2016年7月1日)