富士山の世界文化遺産登録

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[エッセイ 370]
富士山の世界文化遺産登録

 富士山が、ユネスコ世界文化遺産に登録されることが内定した。10年前、世界自然遺産で申請したが、ゴミ問題で失敗した苦い経験がある。先ごろ、“文化遺産”への登録が内定したと聞いたとき、“苦肉の策”、“本音と建前”、果ては“嘘も方便”などの熟語が私の脳裏をかすめた。

 おそらく、日本人はもとより、世界中の人たちが富士山の美しさを認め、“自然遺産”登録は当然と考えているはずである。現に、自然遺産登録失敗後も、富士山の美しさを求めて世界中から多くの人たちがやってくる。外国人が、富士山の文化的、宗教的価値を求めてやってきているとはとても考えられない。

 ゴミ問題さえ解決されれば、富士山は当然世界自然遺産に登録されるはずである。しかし、この問題は、その背景や膨大な量から見て、とても一朝一夕には解決されそうにない。申請する方も登録を認める方も、“文化遺産”は問題解決までの次善の策と考えているのではなかろうか。

 富士山は、何層にも重なった成層火山である。最初は海底火山から始まった。それが成長して、数十万年前に富士山の原形である「先小御岳」が出現する。その火山は、70万年前から20万年前の50万年間で「小御岳」という山に、さらに8万年前から1万5千年前の間に「小富士」という山に成長する。そして、1万1千年前から8000年前と4500万年前から3200万年前の2回の噴火期を経て現在の「新富士」に成長した。

 富士山は、どこから眺めても、いつ仰ぎ見てもその美しさに心を打たれる。その上の部分だけでなく、裾野の曲線と広がりもまた見事である。三保ノ松原などからの海を隔てての姿、富士五湖からの眺めなど他の自然との調和もまた大きな感動を呼ぶ。富士は季節や時間によってもその表情を目まぐるしく変化させ、赤富士や紅富士、果てはダイヤモンド富士としても人々を魅了する。

 こうした美しく神々しい姿が富士山信仰へとつながっていったのだろう。今年の初詣には、富士山そのものを御神体とする富士山本宮浅間大社を選んだが、その末社は1300社にも上るという。東京には今も富士塚が残り、全国にはたくさんの富士講が活動中と聞く。苦肉の策が、次善の策がそうとばかり言い切れない文化的な側面を維持していることもまた事実のようだ。

 円錐形をした美しい富士山は、大沢崩れや宝永山といったいわばキズに相当する部分も持ち合わせている。しかし、「画竜点睛」という熟語の語源に想いを馳せれば、富士山も完全無欠でない方がいいのかもしれない。しかし、裾野に捨てられた粗大ごみの山々は、お世辞にも画竜の中の点睛とはいいがたい。
富士山の、自然遺産への登録替えは、私たちに残された大きな課題である。
(2013年5月21日)