ススキ

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[エッセイ 358]
ススキ

 秋といえば名月、月見の脇役として欠かせないのが団子とススキである。いまそのススキの穂が、穏やかな陽光を浴びて銀色に輝いている。

 子供のころ、遊びに夢中になって野山でよく手を切った。草刈りの手伝いで、うっかりやってしまったことも二度や三度ではない。いずれも、ススキのあの鋭い葉っぱが凶器である。畑では、ススキの株に往生させられた。一旦居座ると、株はどんどん成長し、やわな鍬では手に負えないほど頑丈に根を張る。

 私は、永い間、このススキのことをカヤといい、その穂のことをススキというのだと思っていた。この小文を書くにあたり、確認の意味で国語辞典を開いてみた。「ススキ(薄、芒)とは、イネ科の多年草秋の七草の一つ、高さ1、5メートル、細長い葉が根ぎわから群生し、秋、頂に茶色がかった箒のような花穂が出る。これを尾花ともいう。おばな、かや、ともいう」とあった。

 そして今度は、カヤについて調べてみた。「カヤ(茅、萱)とは、チガヤ、スゲ、ススキなどの総称。またススキの異称」とあった。こうしてみると、普段目にするものは、“ススキ”と呼び、漢字では“薄”と書く。秋になって、ススキのてっぺんに出てくる穂は“ススキの穂”と呼ぶのが妥当のようだ。

 ススキは、そのみなぎる生命力から悪霊を払うと信じられている。そんなことから、十五夜の名月に飾られるのは、収穫した穀物を悪霊から守るためだといわれている。そういえば、毎年6月の晦日と12月の大晦日には、各神社にススキを束ねた大きな輪が据えられる。茅の輪潜りと呼ばれる行事で、過去半年間のけがれを、ススキの生命力によってみそぎしようというものだ。

 ススキは、丈夫で長持ちすることから、かつては茅葺き屋根の材料として多く用いられた。ススキは、家畜の餌としても重宝された。そのため、これらに用いるススキを定期的に刈り取るススキの草原があった。その場所を茅場といったそうだ。そういえば東京の真中にも茅場町という町名が残っている。

 ススキの草原は、草原の究極の姿だといわれる。その生命力の強さから他の草たちをすべて追い出してしまうからだ。しかし、そのススキも樹木には勝てず、いずれ樹林へととって代わられる。そこで、昔の人は茅場を守るために毎年山焼きをして樹木の芽や害虫を排除したという。

 観光資源としてのススキの草原は、いまも各地にたくさん残っている。そこの野焼きも、観光行事として定着しているようだ。その一方、畜産業を支えるための茅場は衰退の一途をたどっていると聞く。ススキにまつわるフレーズも、「幽霊の正体見たり枯尾花」「昭和枯れすすき」などあまりうれしくないものが多い。その生命力にあやかって、もっと前向きなものは見当たらないだろうか。
(2012年10月28日)