十三夜の月

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f:id:yf-fujiwara:20211018193143j:plain[エッセイ 608]

十三夜の月

 

 中秋の名月を堪能してから1ヵ月、今度は十三夜の月も楽しむことができた。先日の土曜日までは、暑ささえ感じさせるほどの高温の日が続いていた。それが、日曜日になるとお天気が崩れ、気温はどんどん下がっていった。そして、十三夜に当たる月曜日には再び晴天を取り戻し、名実ともに秋晴れのさわやかな日和となった。おかげで、十三夜の名月は納得のいくまで楽しむことができた。

 

 真円形になるまでに、まだ2日かかるという十三夜の月は、左側がまだ完全な形までには膨らみきれていなかった。それでも、果てしなく奥深い真っ暗な夜空にぽっかりと浮かび、青白い光を煌々と放っていた。目の前にススキの穂でもあれば、その眺めにもいそう風情が加わるというものだが、この寒さでは戸外でゆっくり月を楽しもうという気にはなれなかった。

 

 昔から、「中秋の名月を見たら、十三夜の月も同じ場所で見なければならない」と言い伝えられている。もし、十五夜の月は見られたが十三夜の月は見られなかったということになれば、「片見月」となって縁起が悪いということになるそうだ。元々この時期になると、「十三夜に曇りなし」といわれるほどお天気が安定してきて月を見られる確率が上がってくるそうだ。それができなかったということは、よほどツキがなかったということになるようだ。

 

 中秋の名月は一年で一番美しい月といわれている。そして、その次に美しいのが旧暦9月13日夜の月だそうだ。そんなことから、単に十三夜の月といえばこの旧暦9月の月を指すことが多いいそうだ。そして、中秋の名月が「芋名月」と呼ばれているのに対し、「栗名月」や「豆名月」あるいは「後の名月」などと愛称もたくさん付けられて多くの人に親しまれているようだ。

 

 中秋の名月を楽しむ風習は中国から伝わってきたようが、十三夜の名月を楽しむ習慣は日本で生まれたらしい。平安時代醍醐天皇あるいは宇多天皇のころにその起源があるといわれている。十三夜の月の下、月や星に魅かれてその想いを和歌や俳句に託したのだろう。そんな雰囲気では、明るすぎる満月より、やや明るさの落ちる十三夜の方が好まれたのではなかろうか。真円まであと一歩の未完成の魅力が、完璧でない美しさが、日本人の心に響いたのかもしれない。

 

 明治、大正のころは、そうした雰囲気が小説や歌にも好んで取り上げられたようだ。樋口一葉の短編小説「十三夜」や小笠原美都子の歌謡曲「十三夜」がその代表作ではなかろうか。もし、満月を背景にすると、明るすぎて「しょうじょうじのたぬきばやし」の方がぴったりくるということになってしまう。

 

 そんなたわいないことを思い巡らせながらも、今年も中秋の名月と十三夜の月を、併せてめでたく堪能させてもらうことができた。

                     (2021年10月18日 藤原吉弘)