テロと災害(あれから10年、あのときから6ヵ月)

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[エッセイ 321]
テロと災害(あれから10年、あのときから6ヵ月)

 米同時テロから丸10年が経った。あらためて、みんなで犠牲者を追悼し、あの忌まわしいテロを心から憎んでいる。しかし、いまも世界中からテロの恐怖がなくなる気配はない。

 そこで、この機会に私なりにテロについて考えてみた。テロは、弱者が強者に打撃を与えるための有力な手段であろう。しかし、テロによって部分的に勝利しても、全面的な勝利につながるかどうかは極めて疑問である。

 ではなぜテロが起こるのだろう。強者は、自分たちの論理を押し通し、そこから多くの利益を得しようとする。弱者は、命がけで自分たちの論理や利益を守り抜こうとする。両者の間に摩擦が生まれ、不信感や誤解も芽生えてくる。それらがエスカレートし、双方の緊張関係は極限まで高まっていく。

 強者には、弱者を見下すきらいがあり、弱者との対話には背を向けがちである。そして強者は、最後は力で弱者を屈服させようとする。しかし、たとえ屈服させたとしてもそこに火種は残る。弱者は、雌伏を経て反攻に出ようとするが、正面から戦う力はない。いきつく先はテロである。

 強者と弱者が対立する限り、テロは決してなくならないだろう。一方、強者が弱者のテロを防ぎきることも不可能であろう。まして、強者による弱者の根絶など、とうてい考えられない。弱者の性善説的な譲歩ももちろんあり得ない。結局は、相手を尊重し理解し合わない限り根本的な解決策は見出せない。

 あれから丸6ヵ月、テレビで見たあの凄惨な光景は脳裏から消え去ることはあるまい。あの東日本大震災の後も、私たちは引き続き自然災害に悩まされ続けている。この機会に、自然災害についても私なりに考えてみた。

 自然災害とは、人間が自然現象によって損害を被ることである。裏返すと、人間が自然に打ち勝とうとして戦いを挑み、跳ね返されたと考えることができる。おそらく生活の利便性を求めてのことであろう。そこには、自然への畏敬と期待はあっても、自然と戦うという意識はなかったはずである。

 しかし、自然現象は人間にとって都合のいいことばかりではない。海は荒れ、川は溢れ、山が動くことだってある。何億年も繰り返されてきた自然現象であり、人間の歴史の中でもそのことは十分学習してきたはずである。自然現象に逆らいさえしなければ、人間は大きな傷を負うこともなかったはずである。

 ところが、治山治水という言葉があるように、自然はある程度コントロールできると勘違いしてしまったようだ。人間は、自然に打ち勝てると思い込んでしまったようだ。私たちは、自然をよく理解し、自然を尊重することから考え直さなければならないようだ。
(2011年9月12日)