自粛という名の二次災害

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[エッセイ 304]
自粛という名の二次災害

 ホームの壁面は、いつも観光地や催しものの華やかな広告ポスターで埋め尽くされている。私たちは、それによって季節の移り変わりを知り、心の奥底からきらめくものをほとばしり出させる。ところが、あれ以来けばけばしい貼り紙はすっかり姿を消し、電鉄会社の地味な広報ポスターだけが申し訳なさそうにぶら下がっている。

 一方、このところ大量に流されているのがACのCMである。どうしてこうまで、親切にしろとお説教されなければならないのだろう。なんで無理やり、頑張れがんばれといわれなければならないのだろう。なんのいわれで、この時期子宮がんの集中的な啓発が必要なのだろう。こうまで押し付けがましくいわれると、反発の一つもしたくなるのが人情である。逆効果は目に見えている。

 おそらく、派手な広告は自粛しようということから、その穴埋めに放映されているのだろう。しかし、余計なおせっかいであり、ただうんざりするだけである。あのコマーシャルが流れだしたとたん、他のチャンネルに回すこともしばしばである。ところが、変えた先でも同じものが流されていて、結局さっき逃げ出したばかりのNHKに逆戻りということにもなってしまう。

 それにしても、広告活動とはそんなにも不謹慎なものなのだろうか。ACって、国民を導くほど立派で偉いのだろうか。このままでは、自粛という名の二次災害によって、復興の足を強く引っ張ることにもなりかねない。

 水曜日の、日経新聞の「春秋」蘭に、きわめて前向きな意見が出ていた。その主要な部分は、「・・10年前の9月24日、ニューヨークの繁華街でそれまで半旗だった星条旗が再び高く掲げられた。同時多発テロの13日後である。『これでようやく再出発だ』という市民の声を伝えている。東日本大震災の後、国会や各省庁など多くの公共機関がずっと半旗を掲げている。・・

 ・・異論はあるかもしれない。が、もう半旗をやめてはどうだろう。弔意は大事だ。同時に、被災者にもそうでない人にも、復興という名の難事が待っている。気持ちを奮い立たせなければ、前への一歩が踏み出せないこともあろう。深い哀悼の意をもちながら、再出発の決意を高く翻る旗に重ねることだってあろう。・・」

 犠牲になられた方々への哀悼の意や、被災された人たちの厳しい現実を忘れてはならない。しかし、そのことにこだわりすぎて、元気な人たちまでが下を向いたままでは誰も浮かばれない。世界中の人たちが、日本が元気に立ち上がるのを待っている。自粛という呪縛から抜け出し、日常に戻ることこそ復興の力強いばねになるのではなかろうか。
(2011年4月8日)