熊野古道

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[エッセイ 246](新作)
熊野古道

 轟音とともに流れ落ちる日本一・落差133メートルの大滝は、神秘としかいいようがない。古代の人々は、そこに神の姿を見て御神体と崇めた。それをお祭りする熊野那智大社は、467段の石段の上にあった。すぐ隣の青岸渡寺を抜けると、那智大滝は朱色にはえる三重ノ塔のはるか後方に望める。

 お目当ての熊野古道は、先ほどの石段下からさらに下の方角に600メートルばかり残されていた。両側を樹齢数百年という杉木立に囲まれた石畳の山道である。大門坂とよばれ、当時の姿をもっともよく残しているそうだ。

 5年も前から、熊野古道世界遺産になったという話は知っていた。しかし、それ以上の詳しいことはまったくといっていいほど知らなかった。そこで、ツアーに参加するにあたり、この地の世界遺産について勉強しなおすことにした。

 ユネスコ世界文化遺産に登録されたのは2004年7月7日、その名称は「紀伊山地の霊場と参詣道」である。対象となるのは、3つの霊場と3つの参詣道である。3つの霊場とは、吉野・大峯、熊野三山、それに高野山であり、3つの参詣道とは、大峯駈道、熊野参詣道、それに高野山町石道である。

 熊野三山に含まれるものとしては、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三山、それに補陀洛山寺、青岸渡寺那智大滝那智原始林が加えられている。熊野参詣道とされているものは、中辺路、小辺路大辺路伊勢路の4つの道、それになぜか熊野にある鬼ヶ城附獅子巌が加えられている。

 熊野詣は平安時代に皇族や貴族の間で始まった。後白河法皇はなんと34回も行幸されたという。室町時代になると武士や庶民の間にも広まり、江戸時代には「蟻の熊野詣」といわれるほど参詣者が列をつくったという。

 熊野参詣道のメインルートは、京都・大阪から紀伊田辺を経由して熊野本宮大社に向かう中辺路であった。手元に、起点となる滝尻王子から本宮までの約40キロの地図とその断面図がある。幾重もの山越えを繰り返す厳しい道のりである。起点の標高は20メートル程度、最高地点は690メートルくらい、全行程は1泊2日から2泊3日を覚悟しなければならないという。

 私たちのバスは、田辺から国道371号線を高野山へと向かった。高い山と深い谷を何十回も抜け、半日もかけてやっと目的地にたどり着いた。建設機械を駆使して造り上げた国道でさえこれほどの酷道である。野宿しながらの数十日に及ぶ山道がいかに苛酷であったか、想像することさえできそうにない。

 熊野三山にお参りするのが旅の本来の目的であるが、旅という厳しい手段がそれ以上のご利益をもたらしていたようだ。目的地の名前より、参詣道の通称である「熊野古道」がクローズアップされるのもうなずけるような気がする。
(2009年6月23日)