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[エッセイ 43](既発表 5年前の作品)


 わが家では、朝食は今日も雑煮だった。餅が大好物なので雑煮を嫌がるいわれはないが、8日も続くとぼつぼつパンと牛乳が恋しくなる。

 餅をついてお正月を迎える。日本の、古来よりの慣わしである。歳の暮れになると、母の実家に、おばの家も含めて3軒が集まり餅つきをした。その家には、ダイガラ(正式には「台唐臼」という)という穀物をつく設備があった。基本的には臼と杵のセットであるが、杵はテコの原理を応用した大掛かりなものである。ある一点を軸に、足で跳ね上げ自重で振り下ろす方式である。腕力に頼る伝統的なやり方と違い、数倍のパワーが発揮され逆に疲れは少ない。

 もち米を一升ずつせいろで蒸し、熱いうちにダイガラでつく。最初はトントントンと軽くつく。米が飛び跳ねない程度にまでつぶれたら、今度は力を入れてつき始める。一打ごとに、もう一人の相棒が、水で濡らした手で臼の中をひっくり返す。粒がなくなり、粘りが出たらつき上がりである。

 あらかじめ用意されたテーブルの上には、厚手の紙が敷かれ米の粉が広げられている。つき上がった餅はその上に移され、粉をまぶされながらひと握りずつちぎられていく。餅の種類は、お供え用はもちろん、何も入っていない雑煮用やあんこの入った焼餅用も用意される。余裕のある時は、よもぎ餅や粟餅なども加えられた。

 日本では、なにか特別なことがあるとすぐ餅が登場する。子供が生まれたといって餅をつく。住宅の上棟式や漁船の進水式には紅白の餅をまく。もちろん、餅のないお正月は考えられない。餅は、「モチをついて祝う」という言葉があるくらい祝いごとには欠かせないおめでたい存在である。

 餅は、韓国や中国はもとより、米飯を主食とする国ならたいてい見かけることができる。ただし、米の粘り気はその産地によって大きく異なるため、つき方もつき上がりにも大きな差が出るはずである。テレビなどでの僅かな知識しか持ち合わせていないが、餅はどこでもご馳走として珍重され、結果として日本と同じようにお祝いごとの中心に置かれることになるのではなかろうか。

 イモ類主体の餅もたまに見かけることがある。たいていは、発展途上国の先住民を取材したドキュメンタリー番組に登場する。お祭りや結婚式など珍しい風俗をテーマにすれば、餅が現れるのは当然の帰結といえる。

 餅をつけるだけの経済的な余裕があれば、集団同士の深刻な対立に発展する可能性は小さい。みんなで力を合わせて餅をつけば、しりもちはついても、喧嘩になることはないはずである。餅は、平和のシンボルであり繁栄の象徴である。月ではうさぎが杵を振り、地上ではみんなが力を合せて餅をつく。そんなハッピーなお伽話の世界が、現実にあってもいいのではないか。
(2004年1月8日)