潅仏会(花祭り)

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[エッセイ 204](新作)
潅仏会(花祭り
 
 「天上天下、唯我独尊」。摩耶夫人の右脇から生れ落ちたとたん、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指してこう唱えられた。花で飾られた小さなお堂の真ん中に安置されている立像は、このときのお釈迦様の姿である。

 花祭りの日、その小さな像の頭上から、竹柄杓で甘茶を3回注いで拝むのが慣わしである。これは、誕生されたばかりのお釈迦様に、天から九龍が香湯を注いだという伝説に由来するものだそうだ。

 花祭りは、正式には潅仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)などとよばれ、お釈迦様の誕生をお祝いする祭りである。「花祭り」という名前は、明治時代に浄土宗で使われるようになったのが一般化したものだという。

 仏教の祖、釈迦牟尼(しゃかむに)は、紀元前5世紀ごろ、ある年の4月8日にヒマラヤ南麓の迦毘羅(かびら)城の王子として生まれた。幼名を悉達多(しったるた)といった。生まれた日や亡くなられた日ははっきりしているのに、何年ごろだったのかはほとんど不明に近い。諸説あって、一番早いものと、もっとも遅いものでは100年以上の開きがある。

 釈迦は、29歳のとき城をすて修行の旅に出る。変転の後、ガヤーという村の菩提樹の下で45日間の観想に入る。そしてついに、仏道の悟りを開く。35歳のとき、12月8日の未明であったという。このときから亡くなるまでの45年間、もっぱら布教に専念する。そして80歳のとき、2月15日に入滅する。

 ところで、お釈迦様が生まれて最初に発せられた「天上天下、唯我独尊(てんじょうてんげ、ゆいがどくそん)」という言葉であるが、これは、「全世界で私が一番尊い」という意味だそうだ。なんとも唐突で、旁若無人な印象さえ受ける。まるで、ナポレオンやヒトラーのような独裁者にすらみえる。

 この言葉から、こうした印象を受けるのは私だけではないようだ。そのためだろうか、もう少しやわらかい解釈も見受けられる。広辞林では、「宇宙の間にわれより尊いものはないという意で、生死の間に独立する人生の尊さを言い切ったもの」と説明している。またかなり一般的な例として、「全世界で私たち一人ひとりの人間が一番尊い」というような解釈もあるようだ。

 ただ解釈はどうあれ、それ以降2500年間の仏教の歴史をたどれば、答えはおのずからはっきりとしてくる。そこには、己の身は自身のためでなく、もっぱら人類のためにのみ存在するのだという考えが貫かれているようにみえる。

 それにしても、お釈迦様の誕生日はなんと素晴らしい季節であることか。花祭りで賑わう地上の楽園に、等しく善男善女を誘ってくれるのではなかろうか。

 今年の花祭りは、旧暦のお雛祭りとも、またおめでたい大安とも重なった。
(2008年4月8日)