椿

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[エッセイ 45](既発表 3年前の作品)
椿

 庭の椿は、今日もけなげに咲いている。メジロが2羽、忙しくその蜜を吸っている。ときおり、ヒヨドリがやって来てそれに割って入る。
 
 わが家の庭には椿が4本あるが、そのうちの2本が新年早々から花を付け始める。薄いピンクの、「淡い」という形容がぴったりの花である。椿といえば、深い赤の花弁に真黄色の花心が印象的である。しかし、この2本は葉っぱの色も薄くそのような力強さはみじんも感じさせない。それでいて、山茶花の花が終わるのを待ちかねるように、一年で一番厳しい時期に花をつける。使命感さえ想わせるけなげさがなんともいとおしい。
 
 椿というと、すぐ伊豆大島椿油を連想する。そして、なぜか資生堂の「花椿」というPR誌を思い起こす。これらのことは、子供のころまだ情報量の少ない時代にいろいろなかたちで目に触れる機会が多かったせいであろう。

 椿の花は首がポトリと落ちるので縁起が悪いと嫌う人がいるが、その枝には一年中青々とつややかな葉っぱを茂らせ、他の植物が寒さで身を潜めている時期に真赤な花をつける貴重な花木である。花は一番目立つ色なのになぜかひかえめにみえる。雪の中に咲く椿が日本画の題材によく取り上げられているが、その姿こそ椿の特徴を最も的確に表現したものといえよう。

 椿は、鎌倉時代から室町時代にかけて花木として鑑賞されるようになった。ちょうど茶道の勃興期にあたる室町の後半あたりから、その風情と茶道のわびが共鳴したためであろうか、椿は茶席の大切な脇役を勤めるようになった。

 椿は日本が原産である。学名をカメリア・ジャポニカというそうだから間違いなかろう。では、ヴェルディの歌劇「椿姫」とどうつながるのだろう。やはり室町のころ、来日した宣教師がそれをヨーロッパに持ち帰り、欧州で椿ブームがおこったそうだ。時代は下り1848年、デュマ・フィスによって悲恋物語が書かれた。

 アルフレーダという純朴な青年に清い恋心を抱きながらも、誤解されたまま死んでいく娼婦ヴィオレッタの姿を描いた小説である。4年後に作者自身の手で戯曲化され、それをヴェルディが歌劇に仕立てあげた。原題はトラヴィアータというそうだ。

 わが家では、山茶花を生垣として敷地の周りに植えている。椿は山茶とも書く。さざんかとつばきはまぎれもなく親類同士の間柄である。山茶花は晩秋を飾る花。椿は春を呼ぶ花。彼らは晩秋から立春にかけての数十日間、さみしくなったわが家の庭を彩りつづけるというリリーフの大役を見事にこなしている。 
 燃えるような五弁の花を、艶やかな濃緑の葉っぱでさりげなく抑えながら寒空に毅然と構える椿、その姿は春を呼び寄せる先発大投手の風格である。
(2004年1月24日)