サザンカの生け垣

[風を感じ、ときを想う日記](1224)12/28

サザンカの生け垣

 

 わが家を囲う東側と北側の生け垣は、いま華やかな紅色に染まっている。立木として一本、二本と咲いているお宅は沢山見かけるが、この時期に花に囲まれているお宅はそうざらにはない。最も花の少ない時期に、わが家だけは一年でもっともはなやいで見えるのだ。大川栄策さんのヒット曲に擬えれば、小宅はいま“さざんかの民家”ということになる。

 

 見た目は華やかだが、歌の通りたしかに「冬の花」である。どこかうらぶれて寂しく感じられる。もともと、この生け垣は花に惹かれて植えたわけではない。小ぶりのつややかな葉っぱが気に入って植えたのだ。家を建てたとき、宅地の外周は「塀」ではなく「生け垣」にしたかった。あちこちと見て歩いて、常緑樹で葉っぱが一番気に入ったのがサザンカだったのだ。

 

 それにしても、花の華やかさはともかく、花びらが散らかるのには往生する。それも相当の量である。昔の人は、椿と山茶花を比べて後者を支持したという。ツバキの花は首からポトンと落ちて縁起が悪いが、この花はパッと散るいさぎよさがいいというわけだ。その、よすぎる散り際のためにあとの掃除に往生している。二日に一回は掃き集めないと、ご近所に迷惑をかけることになる。

 

 例年、花にひととおり満足したら、折を見て花も蕾も全部摘み取ってしまうことにしている。今年も、いましばらく花びらの掃除に精を出すつもりである。