いま、アメリカハナミズキが一番華やかな時期を迎えている。赤、白、そしてピンク。大きく張り出した枝に、四弁の花が無数に群がっている。枝先にあるのは花だけ、ソメイヨシノと同様葉っぱはどこにもみられない。サクラには一歩を譲るとしても、その美しさは大関を名乗るに相応しい存在である。
わが家の近辺では、駅から富士山に向かって西にまっすぐ伸びる駅前通りの両側を飾っている。ほとんどが白い花だが、駅から離れるに従いピンクも混じってくる。旧国道一号線も両側はピンクのハナミズキが彩りを添えている。やはりこの花は、まとまって植えられてこそその良さを発揮するようだ。
このアメリカハナミズキは、日本が贈ったソメイヨシノの返礼として贈られてきたものだ。一世紀以上も前、1912年に当時の東京市長尾崎行雄が6000本のソメイヨシノの苗をアメリカに贈った。日露戦争終結の仲介のお礼であり、日米友好のシンボルとなることを期待したものだ。その半分の3000本はワシントンのポトマック河畔に植えられ、いまもサクラの名所として賑わっている。
ソメイヨシノの返礼品とされたアメリカハナミズキは、1915年に白50本、ピンク20本が東京にやってきた。日本に最初に登場したアメリカハナミズキである。これらの木は日比谷公園と小石川植物園に植えられた。
アメリカハナミズキは、北米原産のアメリカヤマボウシとも呼ばれる落葉高木である。葉っぱが出る前に花が咲くのはソメイヨシノと同じである。花に見えるのは、実は総苞片と呼ばれる葉っぱの一種である。花は、花序と呼ばれる直径4ミリほどの丸い玉で、四弁の中央部に十個ばかりがかたまっている。
アメリカハナミズキには、興味深い伝説がある。キリストが架けられた十字架は、実はハナミズキの木だったというのだ。花弁が十字架に似ているとか、花弁に釘を刺したような傷跡が残っているといったことが根拠になっているようだ。しかし、その時代、イスラエルにはハナミズキは存在しなかったはずだ。
わが家の庭にはハナミズキが2本ある。家を新築した当時、植木屋に植樹を頼んでおいたら、“今ハヤリだから”とそれを2本植えてくれた。しかし、狭い庭では、毎年枝を剪定しなければならない。そのため、せっかくその季節を迎えても、しっかり剪定された木はいくらも花をつけることはできない。
やはり、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」の格言どおり、ハナミズキはサクラ同様切らぬ方の仲間でなければならなかったのだ。ハヤリだからと云っても、所詮狭い庭には向かない植木だったようだ。それでも、数少ない花を数えながら、今年は00個も咲いたといって喜んでいる。