鏡開き

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[風を感じ、ときを想う日記](62)1/11
鏡開き

 昨日、スーパーに立ち寄った折、煮込んだ小豆の缶詰を買ってきた。もちろん、翌11日の鏡開きに備えてのものである。昔は、堅い小豆を水に浸し、柔らかくなってからトロ火で時間をかけて煮たものである。

 帰宅してまもなくおやつの時間がやってきた。そうだ、今から汁粉を作ろう!本当は明日のはずだが、おめでたいことは早くてもかまわないだろう。

 二段重ねの形をした白いプラスチックのくびれた部分をひねると、中から紅白の切り餅が出てきた。もちろん、空になったおそなえは元の形に戻してきちんと飾りなおしてある。餅は電子レンジでチン。缶から取り出した小豆は二倍に薄めてコンロで暖めた。両者を併せて、立派な汁粉の出来あがりである。

 近ごろ、お正月もだんだんそれらしくなくなってきた。門松やしめ縄は、年々影が薄くなってきた。お供えも、鏡開きのときに割るのが大変だからと、外側はプラスチック製になってしまった。

 このような風潮を、形骸化というのだろうか。わが家のお供えは、それに空洞化が加わった。

写真は、空洞化したわが家のお供えと、寒川神社で受けた破魔矢