午年

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[エッセイ 384]
午年

 今年は午年、子丑寅卯で始まる十二支の7番目に当たる。「午」という字の原形は「忤(さからう)」という字だそうだ。草木の成長が極限を過ぎ、衰えの兆しを見せ始めた状態のことをいう。あまり有難くないご託宣だが、アベノミックスに対するさらなる叱咤激励と受け止めたい。

 この十二支は、数字のなかったころの中国で順番をあらわす序数として生まれた。その頃、もう一種類の序数として甲乙丙丁の十干も生まれた。しかし、12個や10個程度の数では手足の指を合わせた数にも満たない。そこで、両者を組み合わせて60通りの序数を編み出した。甲子(きのえね)で始まり、それぞれが一つずつずれて、乙丑(きのとうし)、丙寅(ひのえとら)とつづく。

 午については、十干との相性で一部悪い迷信がつきまとっている。43番目の丙午(ひのえうま)がそれである。「丙午年生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」というものだ。おかげで、前回、1966年のときも新生児が激減した。今年は午年でも、幸い一廻り早い31番目の甲午(きのえうま)にあたる。

 十二支は、いろいろなものに利用されてきた。いまも名残をとどめるのが時刻と方角である。時刻は、日付の変わる0時、子(ね)の刻を起点にして2時間ごとに時を刻む。半日過ぎた12時間後が午(うま)の刻にあたる。いまでも、昼の12時を正午とはいい、その前を午前、あとを午後という。方角は、北の子と南の午を結ぶ「子午線」にその名をとどめる程度になった。

 ところで、午年というと馬の絵が登場し、字そのものも「馬」と書くことがある。十二支に、こうした動物があてられるようになったのは、誰にでも覚えられるようにするためだ。したがって、これらは本来単なる記号でしかない。それでも、午年というと身近な存在の馬の方により親しみを覚える。

 馬は、社会性に優れた草食系の代表格で、人参大好きの甘党である。脚力はあらためて説明するまでもないが、それで他の動物を襲うことはない。視野は広く、350度もあるといわれる。暗闇でも目が利き、立ったまま寝るという話はよく知られている。まさに専守防衛に徹しているといえよう。

 人間とのかかわりも深く、かつては農耕や運搬作業には欠かすことのできないよき伴侶であった。馬に関わることわざは、馬の耳に念仏、馬耳東風、馬子にも衣装、馬脚をあらわす、名馬に癖あり、馬齢を重ねる、馬肥ゆる、馬が合う、馬の背を分ける、馬の骨、生き馬の目を抜く、などなど。

 絵馬は、神様の乗る神馬を奉納する代わりに、馬の絵を板に描いてお供えしたのが始まりだそうだ。後に、その裏に願い事を書いて神様に託すようになったという。わが家は、今年も“家内安全”を託したいと思っている。
(2014年1月1日)