法事

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[エッセイ 455]
法事

 先日、母の七回忌の法事をいまの居住地で執り行った。それを藤沢で行ったのは、仏壇やお墓はすでにこちらにあり、顔を出してもらいたい直系親族はみな関東地方に住んでいるためである。その母は、6年前の正月明けに94歳で亡くなった。もちろんそのときは、実家で葬儀を執り行った。本来なら、そのときのように実家の近くで母をしのぶのがいいのかもしれない。しかし、現実問題として、それでは親族みんなにとってあまりにも荷が重過ぎるのである。

 朝10時、みんなにわが家に集まってもらい、仏壇にお参りした後、位牌を伴って4夫婦8人で近所のお寺にお参りした。この浄土宗のお寺は、仏壇を実家から移したときにお世話になって以来のお付き合いである。もちろん、事前に予約してあったので、一息入れた後はすぐお坊さんのお勤めとなった。

 読経とお焼香の後、簡単な法話と雑談でしばしくつろぎ、一昨年改葬したばかりの市営墓地へと向かった。こちらもお寺からはそれほど離れておらず、距離にすると電車の一駅分といったところである。お正月にお参りした直後だが、生花は新しいものに取り替え、みんなでお線香を供えてしばし母のことをしのんだ。

 その後の昼食は、墓地に程近いところにある多少気の利いた和食レストランを予約しておいた。法事向けのメニューもあったが、精進料理にこだわることもないだろうと思い普通の料理にすることにした。ただ、滅多にない機会なので、少し張り込んでパーティー用のコース料理を注文した。

 ところで、今回の法事は、昔からの習慣に従って粛々と執り行ってきたが、そもそも法事とはいったいなんなのだろう。ものの本によると、法事とは、故人の冥福を願って寺院や自宅で営まれる仏教的なセレモニーだとあった。法事の後には、会食の席を設けるのが一般的とも補足されていた。

 法事は、一周忌を過ぎると、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、そして三十三回忌と続く。二十三回忌と二十七回忌の代わりに二十五回忌を行う場合もある。実は、わが家は父の時にはそうさせてもらった。さらには、五十回忌、百回忌、そして百五十回忌というのもあるようだが、三十三回忌で弔い止めにする場合が多いという。

 この法事という行事は、別に法律で定められているわけではないので、やらなかったからといって公にとがめられることはもちろんない。自身や家族が納得のいく方法でご先祖様のご冥福をお祈りすればいいのではなかろうか。ただ、田舎ならともかく、都会に出てくる人が多くなった現代では、普段親族が一堂に会する機会は滅多にない。そこで、法事については、そのような疎遠気味の人たちのために、ご先祖様がわざわざ用意してくれたのだと考えてみてはどうだろう。
(2017年1月24日)