仏壇

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[エッセイ 404]
仏壇

 実家に安置されていた仏壇を、昨年の1月にいまの住まいに移した。以降、仏さまにお参りするのが朝の日課となった。このことによって、両親やご先祖さまがぐっと身近になったことを実感している。それと併せて、自分自身の気持ちの中に、なにか一本筋が通ってきたように感じている。

 そもそも仏壇は、自分が生まれたときから家にあり、生活と密着した当たり前の存在だった。ところが、実家を出て一人で住むようになってみると、それとはだんだん縁が薄くなり普段は忘れてしまっていた。再びそのことを意識するようになったのは、両親が亡くなってからである。

 仏壇のそばで暮すようになって2回目のお盆を迎えた。もうすっかり生活の一部になったそのことについて、この機会に考えてみることにした。仏壇とは、家庭に常設された仏教の礼拝施設であり、先祖の位牌安置所であるといえる。その作りは、宗派本山の仏堂を模したものが一般的で豪華なものが多い。ただ、仏壇は日本独自で、ほかの仏教国には見当たらないという。

 仏壇の起源については諸説あるが、魂棚(たまだな)と呼ばれるお盆に先祖の霊を迎える祭壇という説が有力なようだ。仏壇の本格的な普及は、江戸初期に始まった寺請(てらうけ)制度が原動力になっている。この制度は、キリスト教禁止の徹底と民衆管理の手段として始められたものである。

 幕府は、民衆に対して、菩提寺を定めてその檀家になることを義務付けた。そして、その証として各家庭に仏壇を置くことを勧めた。幕府は、寺側に対しては、戸籍に当たる宗門人別帳を作成させ、移転や結婚のときは住民票にあたる寺請証文を発行させた。こうして、菩提寺を通しての民衆管理が制度化され、寺は幕府の出先機関としての役所機能を持たせられることになった。

 わが実家は、母が介護施設でお世話になるようになって以来、長い間空き家同然になっていた。当然、仏壇も普段はほったらかしとなり、盆正月のほかは年に数回お参りする程度になっていた。2年前、お盆で帰省したとき、供養においでいただいた菩提寺のお坊さんに相談してみた。お坊さんは、仏壇はそばに置いて毎日お参りするのが一番いいと教えてくれた。

 かくして、母の法要を済ませたあと、仏壇をいまの住まいに移した。仏壇は、その発祥や普及の経緯はともかく、存在そのものはけっして悪くはない。私は特定の宗教の信者ではないが、朝のお参りにはいつも気持ちがあらたまる。先祖を崇拝することは、自分が本来何者であるかを確認することにもつながる。自分と向き合うとき、その物的なシンボルの存在は心の大きな支えとなる。

 それがまさに仏壇ではなかろうか。

(2014年8月18日)