薪能

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[エッセイ 448]
薪能

 重病で苦しんでいる源頼光の館に怪しげな僧が現れ、クモの巣糸で彼に襲いかかってきた。その僧は、実はクモの化身であった。頼光の反撃にあった僧は、足に傷を負いながら棲みかへと逃げ帰っていった。頼光の意を受けた追手は、血痕を頼りに葛城山へと迫る。・・暗闇に浮かぶ特設舞台では、ドラマが最後のクライマックスへと粛々と展開されていった。

 この日遊行寺で開かれた薪能は、観世流の能二番と大蔵流狂言一番で構成されていた。能は、「杜若(かきつばた)」と冒頭に紹介した「土蜘蛛(つちぐも)」、そして狂言は「仏師(ぶっし)」であった。舞台装置も照明もシンプルで、遊行寺の境内に自然な形で溶け込み、私たちを幽玄の世界へと誘ってくれた。

 実は、能はもとより薪能に実際に接したのは初めてである。ご近所の方から、入場券をいただいての初体験だった。開演1時間前に着いたが、門前にはすでに長蛇の列ができていた。境内の広場には、1200ともいわれる椅子席が用意されていたが、その人たちですぐに埋め尽くされた。

 それにしても、なんというシンプルな演劇であろう。舞台は簡素。大道具も小道具もほとんどない。幕ももちろんない。BGMも太鼓と鼓二種に笛一つ、8人の地謡が静かに流れるだけである。演者の数も少ない。演技も、「静」と「間」が基本となり、観る側の感性によって創り上げていくことになるようだ。

 能は、奈良・平安時代の歌舞音曲や神への奉納の舞が集大成されたものである。それを、鎌倉時代後期から室町時代前期にかけて、観阿弥世阿弥親子が能として完成させた。能は、かつては猿楽と呼ばれていたが、明治以降狂言とともに能楽と総称されるようになった。能とは、能楽のうち、「超自然的なものを題材とした歌舞劇で、比較的高尚なもの」を指すのだそうだ。

 現存する芸能のうち、能のように700年も続いたものは世界に例がないという。その価値を認められ、能はユネスコの世界無形文化遺産に登録された。能は、人の内面をシンプルに表現し、観る人に解釈を任せ創造させるところに大きな特徴がありそうだ。美しい装束や能面もまた見逃すことはできない。能は、「芝居」のみならず「音楽劇」であり「仮面劇」ということもできる。

 薪能は「薪の能の宴」の略で、奈良興福寺の修二会(しゅうにえ)という神事が始まりといわれている。13世紀半ばごろのことだという。いま、全国の100カ所以上で毎年上演されているそうだ。

 ところで、あらすじを読んでいたので、ドラマの進行にはなんとかついていけたが、実は台詞はほとんど理解できなかった。自然に溶け込む雰囲気はよかったが、暑いし、尻や腰が痛いので楽しみのかたわら難行苦行の一面もあった。
(2016年8月20日)