節分

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[風を感じ、ときを想う日記](834)2/3
節分

 いま、満腹感に浸りながらパソコンに向かっている。遊行寺の、節分の豆まきで拾った福豆を、3時のコーヒーのお供としていただいたのだ。テトラパック2袋分、およそ60粒が、水分を含んで腹の中で大きく膨らんできたようだ。

 今年も、節分の豆まきを見物しようと、時宗の総本山である遊行寺に出かけた。前庭には、すでに大勢の人が集まっていた。ほどなく、10人を超える僧侶とゲストが本堂でのセレモニーを終えて特設ステージに現れた。

 群衆にもまれながら、飛んでくる豆袋に腕を伸ばした。若い背の高い連中が壁となって、思うようにキャッチすることができない。帽子は飛ばされ、メガネも外れそうになる。それでも、たまに、なにかの拍子で手に収まることがある。もう十分だ。ポケットに5袋たまったところで撤収することにした。

 節分は、本来はすべての季節の移り変わりのことをいうそうだ。いまでは、二十四節気が一巡した大寒の末日、暦の一年が始まる前日、いいかえれば暦の上の大晦日を指すようだ。豆まきのセレモニーは、この古い年の邪気を家から追い払い、穢れのない状態で新しい年を迎えようということのようだ。

 豆は年令の数だけ食べるものだという。しかし、自身にとっては今日チャレンジした60粒が限界である。奇しくも60は還暦に繋がるということから、無に還るという点からも今日食べた数は理にかなっているのではなかろうか。