吾妻山の菜の花

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[エッセイ 433]
吾妻山の菜の花

 この季節、菜の花の話になると、必ずといっていいほど吾妻山のことが話題に上る。一度行ってみたいと思いながらも、ついつい先送りになっていた。そんな折、ここ数日間、真冬らしからぬ暖かな晴れの日が続いていた。このような穏やかな日和も翌日までで、その先は雨または雪の日になるという。よし、この機会に思いきって行ってみよう。富士山もきれいに見えるかもしれない。

 好天続きの最後の日となった1月の最終木曜日、二宮町の吾妻山に向け出かけて行った。ゴルフに行くときよくそばを通るので、最初は車で出かけるつもりで駐車場をネットで検索してみた。しかし、その公園に付帯設備はなく、二宮駅周辺に小規模なコインパーキングが散在するだけだった。それなら、なにも車を使わなくても電車を利用すればいい。公園はすぐ駅の前なのだから。

 二宮駅を出ると、5分も歩かないうちに公園入口に着いた。みると、その先には延々と階段が続いていた。とにかく登ろう。コンクリート製の階段なのになぜか歩きにくい。ステップの形状が、手前が高く奥が低くなっているためのようだ。そのせいか、多少前のめりになる感じがした。

 階段は果てしなく続いた。咲き誇る足元のスイセンが、登る人たちを勇気づけてくれてはいたが、踊り場が少ないこともあって一息ではとても登り切れなかった。やっと300段といわれる階段を登り切った。いままで経験した金毘羅さんの785段や室生寺奥の院の720段よりずっと厳しかった気がする。あとは、仕上げの坂道を大股で登り切るだけだった。

 いきなり視界が開けてきた。標高136メートルの芝生広場の頂上には、360度の大パノラマが展開されていた。東には、低い丘陵の合間に二宮や大礒の市街が点在している。南側は太平洋へと続く相模湾の大海原、そして視線を少しずつ右に転じていくと、伊豆半島、箱根、そして丹沢の山並みが続く。圧巻は、箱根の背後にそびえる雪に輝く富士山である。目の前に広がる6000株といわれる黄色い菜の花とのコントラストがなんとも見事であった。

 ところで、「吾妻山」という名前であるが、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、亡き妻、弟橘媛(おとたちばなひめ)が使っていた笄(こうがい=結髪用具)を山頂に埋めて、「吾妻はや」と嘆いたという伝説が元になっているのだそうだ。また、二宮町の町名は、吾妻山西方1キロのところにある川匂神社が「相模の国二之宮」と呼ばれていたことに由来しているという。

 あれから2日経った今日も、両足のふくらはぎは歩くたびに筋肉痛に悲鳴を上げている。黄色いじゅうたんの向こうにそびえる白く輝く富士の絶景とともに、あの300段の悪夢が思い起こされてくる。
(2016年1月30日)