六月の光

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[風を感じ、ときを想う日記](700)6/15
六月の光

 今月の「ゆうゆう通信」には、巻頭の挨拶として次のような小文を載せた。

 ・・・父の日は、米・ワシントン州のソノラ・スマート・ドッドという女性が、牧師にお願いして、亡き父の誕生日に礼拝してもらったのが始まりといわれています。彼女は、母の亡き後、ソナラと5人の兄を男手一つで育ててくれた父親を敬愛していたからです。

 6月の第3日曜日、105年前の1910年のことでした。日本でも、これにならって徐々に広まり、いまでは6月の第3日曜日は父の日としてすっかり定着しています。

 誰にもみな父がいます。そして、多くの男性は父として立派にその役割を全うしてきました。その功績に軽重はありません。父親への尊敬と感謝の気持ちを伝えるしるしとして、もし故人なら白いバラが、健在なら黄色か赤いバラがふさわしいとされています。・・・

 ところで、最近は適齢期を過ぎても父や母にならない人が多くなっているという。人それぞれに事情を抱え、考え方や価値観、そして生きざまも違うのは当然であろう。しかし、これらの現象には、生き物としてどこか不自然さが感じられる。若い人には、もう一度この問題に自然体で向き合ってもらいたい。

 父に、母になってよかったと思える時が必ず来るはずである。