父の日

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[エッセイ 441]
父の日

 6月の第3日曜日は父の日だった。しかし、今年の父の日も、そのことについて特別意識することはなく平凡な一日を送った。ただ、たまたまこの日はゴルフのホームコースで、月例コンペが行われるというので、少し早めに起きてそれに参加した。この日は雲が広がり、涼しくて快適なプレーを楽しめた。

 そんなごく普通の父だが、子供たちは今年も律義に気を使ってくれていた。娘からはビールの、息子からは日本酒の、それぞれ色とりどりの詰め合わせが届いた。子供たちは、父は量はあまり飲めないが、それらをたしなむのは大好きだということは十分承知してくれている。さっそく、その日から、家内ともどもそれらを舐めるように賞味させてもらっている。

 父の日は、アメリカのソノラ・スマート・ドッドという女性が、男手一つで育ててくれた亡き父をたたえて、その誕生日に牧師に礼拝をしてもらったのがはじまりといわれている。1909年の6月のことだという。これがきっかけとなって、6月の第3日曜日の父の日が慣例化していった。1966年には大統領の告示にこぎつけ、1977年にはついに国の記念日として制定された。

 この父の日の成り立ちは、母の日のそれと酷似している。母の日は、アメリカのアンナ・ジャービスという人が、自分の母の没2年後に母を偲んで教会でカーネーションを捧げ、訪れた人にも手渡したのが始まりだといわれている。1905~7年頃のことだそうだ。その母の日は、アメリカで1914年に初めて5月の第2日曜日と定められた。

 日本の父の日は、母の日に隠れてあまりぱっとしなかったが、1950年代から商業的に少しずつ利用されるようになってきた。それでも、子供の日のもとになった端午の節句のような歴史的な裏付けがあるわけではない。法律によって国民の祝日として定められているわけでももちろんない。商業者が中心になって、6月の第3日曜日に向かって少しずつ盛り上げていっただけである。

 子供たちが独立し、社会の第一線から退いてみると、家族や社会とのかかわりが少しずつ希薄になってきた。父として男性としての存在感も当然薄くなってきた。あとは、できるだけ若い人に迷惑をかけないように、ひっそりと生きることこそ自分に課せられた使命ではないかとさえ考えるようになっていた。

 ところが、この父の日は、父として、社会の重要な構成員としてどう生きるかを考えさせてくれるきっかけを与えてくれた。もちろん、子供や孫を持つ喜びという、生き物本来の生きがいも同時に呼び戻してくれている。

 たかだか販売促進策の一環くらいにしか考えられていなかった父の日が、実は人類の発展に貢献できているのだとすれば素晴らしい話ではなかろうか。
(2016年6月21日)