空港の閉鎖

イメージ 1

[エッセイ 418]
空港の閉鎖

 火曜日の夜、夕食を済ませて一息ついているときだった。広島在住の、家内の叔父が亡くなったという知らせが入った。葬儀は、翌水曜日の午前10時半から、同市内の可部線沿線にある民間の葬儀場で行われるという。朝一番に出かけても、はたしてそんな早い時間に間に合うだろうか。

 とにかく、インターネットであれこれ調べてみることにした。あった。翌朝一番電車で羽田空港に向かえば7時発の全日空の便に間に合い、広島のその葬儀場に10時過ぎには到着できることが分かった。ちょうど、NHKの歌謡番組が始まったところだったが、スイッチを切って翌朝に備えることにした。

 翌日、3時すぎには起き出し5時に家を出た。途中の乗り換えもスムーズで、羽田へは予定どおりの時刻に着いた。ところが、肝心の全日空の広島便が欠航になっていた。なんでも、事故で滑走路が閉鎖されているのだという。そういえば、前夜電話をもらって以降テレビは消したまま、世の中の動きには完全に目をつぶってきた。代替便になりうる岩国行きはすでに満席だという。

 急きょルートを変更してモノレールで東京駅へ向かった。しかし、途中で気がついた。新幹線は、いまでは全便品川駅で乗れるはずだ。京急一本で行けたのに!かくして、遠回りの浜松町経由で品川にたどり着いた。お目当ての“のぞみ”に乗れたのは8時前、広島駅に着いたのは12時の少し前だった。

 葬儀場に電話で確認してみると、みなさんは葬儀を終え火葬場に向かわれたとのこと。私たちも、そこで親族に合流することにした。叔父さんとの最後のお別れには間に合わなかったが、親族のみなさんには無事お会いすることができた。そして、一緒に叔父さんのお骨を拾うこともできた。

 広島空港の事故の具体的な様子を知ったのは、新幹線の座席に落ち着き、自宅から持参した新聞を広げたときだった。“あゝ、この新聞を始発電車に乗ってすぐ広げていたら、こんなに遠回りをしなくて済んだのに”“自宅にいるうちに、テレビニュースの断片でも垣間見ていたら・・・”と悔やむことになった。

 東側から超低空で進入してきたアシアナ機は、機体の一部を破損させながら滑走路を大きく外れて止まった。あの進入コースは、風向きに問題がないかぎり東から来た機はほとんどが利用するはずである。私も、今までに何十回も登乗しているが、視界不良での着陸やり直しに遭遇したことも何度かあった。

 たしかに、山の上の空港だけに自然環境は決して甘くはないだろう。だからといって、今回の事故を人災ではないといいきるには、運行はもとより空港設備も含めかなり無理がありそうだ。アクセスの利便性を放棄し、せっかくこの新天地に空港を移したのだから、安全には徹底的に注力してもらいたいものだ。
(2015年4月17日)