ハワイ旅行 半世紀前の思い出①

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[エッセイ 493]
ハワイ旅行 半世紀前の思い出

 初めての外遊先はハワイだった。もう47年も前のことになる。さらにその5年後、もう一度ハワイに出かけることができた。三度目に出かけることがあったら、今度はその体験談をエッセーに残しておこうと思っていた。しかし、年齢からみて、どうやら“予定”のまま終わりそうだ。ついては、“当時だからこそ”と思われるようなことに絞って、思い出をまとめてみることにした。

 海外に出かけるには、パスポートと呼ばれる日本政府発行の旅券が必要だということを初めて知った。県庁で、一次旅券にしますか数次旅券にしますかと聞かれた。一次旅券とはまさに一回限り有効なもの、多くの人は「一次」でいいですといっていた。それでも私は、今後もチャンスがあるかもしれないと数次旅券にした。この単発の旅券は、1989年の法改正で“事実上”なくなった。

 当時、アメリカに入国しようとしたら、ビザと呼ばれる査証が必要だった。在日アメリカ大使館で審査してもらい、不審人物ではないと判ればパスポートにOKのハンコがもらえる。もしそれがないまま出かければ、先方の空港で入国を拒否される。いまでは、国同士の協定により、免除される場合が多い。日本人の観光客は180カ国でそれが不要になっている。

 旅行費用の大半は、事前に旅行社に支払うが、現地で使うお金は円からその国の通貨に両替しなければならない。当時は、出発前に羽田にある東京銀行の出張所で、1ドル360円のレートでドルに換えてもらった。もちろん、相当額の手数料も払わせられた。1ドル360円時代は戦後長い間続いた。変動相場制になり、もっと有利な値段で交換できるようになったのは1973年のことである。

 出国、入国ともに、使用空港は羽田だった。それも沖合移転前の狭苦しい古ぼけた空港だった。空港ビルの右側3分の1くらいが国際線に割り当てられていた。成田が開港し、国際線が移ったのは1978年、そして羽田の新しい空港に国際線の定期便が一部戻ってきたのはつい最近のことである。

 最初のハワイ旅行は、ハワイ島マウイ島そしてオワフ島と、3島を順に巡るツアーだった。ハワイ島まではJALの直行便があり、機材は新鋭のジャンボジェットだった。この路線は、その後休止状態にあったが最近復活した。

 旅行の出発は4月17日、まだ寒さの残る時期だったが、ハワイに着いたらさっそくワイキキビーチで海水浴をしようと水着を買い求めることにした。昼休みの時間に、職場のすぐ近くにあった大丸デパートに寄ってみた。店員に用件を伝えると、「うらやましいですね。この時期、店頭には並べてないのですよ」といって、奥の戸棚から前年夏の売れ残りを持ち出して見せてくれた。

 あこがれのハワイでのこぼれ話は、次号に譲ることとする。
(2018年9月3日)