ベルン、チューリッヒそしてルツェルン

イメージ 1

イメージ 2

[エッセイ 354]
ベルン、チューリッヒそしてルツェルン

 スイスの魅力は、アルプスの山々やアルペン鉄道だけではなかった。アーレ川は、ベルン市内に入ると180度向きを変える。ベルンの旧市街は、ヘアピンのようにカーブした内側の、半島のようになった部分にあった。

 その半島の突端部分から街に入ると、メインストリートが西に向かって伸びている。中央部には、ところどころにきれいに装飾された噴水が設置されている。通りの両側には、古い風格のあるビルが立ち並ぶ。どのビルも、一階の通りに面した部分は公共スペースとして歩道に供されアーケード街になっている。その総延長は6キロに及び、ヨーロッパ最長だそうだ。

 この通りを中心部まで進んだところに、道をさえぎるように古い時計塔が立っている。1218年に建てられ、1530年には天文時計と仕掛け時計も加えられた。ツィットグロックの愛称で永く市民に親しまれてきたという。そこを左に曲がり、さらに鍵の手に進むとスイスの連邦議会議事堂に出くわす。驚いたことに、議事堂に通じる大通りの真ん中は青空マーケットになっており、すぐ目の前まで連なった露店街は庶民の群れでにぎわっていた。

 ここ、ベルンの旧市街は、1983年にユネスコ世界遺産に登録された。人口13万人弱、この国でも4番目の小さな都市が、あのスイス連邦の首都である。さらには、万国郵便連合などの国際機関も数多く置かれている。私たち日本人の感覚からは、すぐには容認できそうにない大きな驚きである。

 私たちは、チューリッヒルツェルンの市内観光も体験できた。人口37万人を抱えるスイス最大の都市チューリッヒは、湖のほとりにたたずむ美しい町だった。その一方、中心部には金融や保険会社のビルが軒を連ね、世界の有力な金融センターであることを印象付けている。いまも、あの“チューリッヒの小鬼”たちが、この街のそこここで密かに活躍しているのであろう。

 かつてスイスの首都だったこともある人口7万人あまりのルツェルンも、湖に面した自然豊かな町だった。ここは、“カペル橋”という屋根のついた木製の橋で有名だが、それ以上に印象に残ったのが岩壁に掘られた“ライオン記念碑”である。脇腹に槍の刺さった息絶え絶えのライオンの像である。フランス革命の際、蜂起した民衆からルイ16世とマリー・アントワネットを守ろうとして命を落としたスイス人の傭兵を悼んで造られたものである。目立った産業のなかった当時、優秀なことで知られるスイス兵は貴重な“輸出品”だったのだ。

 終戦直後の日本は、この国を手本として“東洋のスイス”を目指したことがある。長野県の諏訪湖周辺ならともかく、このビジョンがいかに的外れであったか、この国を訪れてみてあらためてそれを実感している。
(2012年8月6日)

写真 上:ベルン旧市街
    下:チューリッヒ