プラハ

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[エッセイ 311]
プラハ

 CDでスメタナを聴いていたら、「あれ?それ、モルダウじゃない!」と家内から声がかかった。なんでも、中学校で習った曲だという。さらに、いま参加している合唱クラブの曲集にもあると、譜面まで持ち出して見せてくれた。この曲は、いつもながら私の、郷愁を誘い魂を震わせる。

 モルダウは、チェコスメタナ(1824-1884)が作曲した、6曲から成る連作交響詩「わが祖国」の第2曲目に登場する。この交響詩は彼の代表作であり、「モルダウ」はその中でも最もポピュラーな曲である。いまではヴルタヴァと呼ばれるモルダウは、チェコの首都・プラハ貫流する大河の名前である。

 私たちは、聖ヴィート大聖堂や旧王宮までが一体となった高台のプラハ城を見学したのち、坂道を下りて旧市街へと向かった。目の前に、ヴルタヴァ川に架かるもっとも古い橋「カレル橋」が見えてきた。

 この橋は、14世紀半ば、カレル四世の命により建設が始まった。完成したのは1402年、幅9.5m、長さ516mもある歩行者専用の大きな橋である。橋の両側の欄干には、30体にも上る大きな聖人の彫像が建てられている。

 彫像は、17世紀末から20世紀前半にかけて順次取り付けられたものだ。日本になじみの深い聖フランシスコ・ザビエルの像も混じっている。橋から眺めるヴルタヴァ川の豊かな流れとそこに映えるプラハ城、反対側に目を転じれば、旧市街の美しい街並が広がっている。

 橋を抜け、風格のある建物の続く石畳をたどっていくと旧市街広場に出た。広場を囲むように中世の美しい建物が並ぶ。その一角に、旧市街庁舎の時計塔がある。お昼ちょっと前だったので、広場は大勢の人で混みあっていた。

 やがて、12時の時報とともに、その時計塔の一番上の小さな窓が開いた。キリストの使徒12人の人形が、入れ替わり立ち替わりその窓から現れる。仕掛け時計が繰り広げる40秒ばかりのドラマであった。

 プラハは落ち着きのある美しい町だった。きちんと敷き詰められた石畳の街路、その両側に立つ重厚なビル群、調和を大切にした街づくりであることが一目で見てとれる。その外側に広がる新市街も美しい街並みを維持している。私の気持ちの中では、旧共産圏の暗いイメージを引きずっていたが、思ったよりはるかに明るく繁栄しているように見える。

 この地は、過去に何度も侵略され、また大国によって抑圧されてきた。それでも、市民はじっと耐え、ここを戦場にすることはなかった。ヨーロッパ最大の中世都市といわれるプラハは、中世と近代の調和をはかりながら、市民の手で立派に守られてきた。
 
 それにしても、石畳を歩き回るのは想像以上に疲れる。
(2011年7月3日)

写真 上:カレル橋橋上の様子
    下:旧市街庁舎の時計塔・正午の様子