ブラチスラバ

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[エッセイ 313]
ブラチスラバ

 ここブラチスラバはいやに貧相に見えた。プラハという、中世の大都市に魅せられた直後のためだろうか。

 一番の観光スポットといわれるブラチスラバ城にさえ、ほとんど感動を覚えることはなかった。その建物の形から、「ひっくり返したテーブル」といわれるニックネームに感心させられた程度である。

 旧市街の中央広場は、旧市庁舎や日本などの大使館も立ち並び、その美しさに華を添えている。観光客もたくさん歩いていた。それでいて、なぜかこの街からは生活の匂いや、生きる力といったものが伝わってこない。観光資源の貧しさを補うためだろうか、広場や街角にはいくつもの銅像が置かれている。しかし、そのユーモラスな姿かたちからは、かえって虚しさだけが伝わってくる。

 ブラチスラバは、人口42万人、スロバキアの首都である。市の中央をドナウ川貫流する美しい町である。スロバキアの西端に位置し、市域は首都には珍しくオーストリアならびにハンガリーと直接接している。隣国の首都ウィーンとは、直線距離にして60キロしか離れていない。

 スロバキアは決して大国ではない。日本と比べると、面積は7分の1弱、人口は23分の1、そしてGDPは36分の1にすぎない。一人あたりのGDPは日本の3分の2程度とそれほど豊かではない。首都の人口は日本の平均的な県庁所在地程度の規模である。

 それでいて、スロバキアはユーロ圏の立派な一員である。隣国のチェコハンガリーが、EUの一員でありながらユーロ圏の仲間入りを果たせないでいるのとは対照的である。チェコハンガリーの両国が、国土や人口あるいはGDPといった国勢においてスロバキアの2倍近い規模にあるというのに・・。
 
 この町は、活力に乏しい小さな都市だと思っていた。しかし、その魅力はもっと深いところに秘められているようだ。なにしろ、この町は中世の250年間もハンガリー王国の首都だったのだ。丘の中腹にある聖マルティン大聖堂では、260年にも亘ってハンガリー王国歴代の国王や王妃の戴冠式が行われた。

 もちろん、かの女帝・マリア・テレジア戴冠式もここで行われた。彼女は、この地をこよなく愛し、最後の20年間をこのブラチスラバ城で過ごしたという。ドナウ川とそれを取り巻く美しい風景が彼女を押しとどめたのだろうか。

 どうしてブラチスラバは、長期にわたって中欧の中心的存在でありつづけられたのだろう。どうしてこの地は、ここまで女帝に愛されたのだろう。

 どうやら、ものごとすべからく多面的に判断すべきもののようだ。できれば尺度も変え、歴史的な成りたちまで考慮に入れるべきなのかもしれない。
(2011年7月11日)

写真 上:ブラチスラバ城(四隅に、テーブルをひっくり返した時の脚に相当する塔が見える)
    下:ドナウ川ブラチスラバ城からの眺め)