昭和は遠くなりにけり

f:id:yf-fujiwara:20201010151441j:plain

f:id:yf-fujiwara:20201010151528j:plain
[エッセイ 567]

昭和は遠くなりにけり

 

 ノーベル賞の発表が続いているが、日本人の受賞者は、今年はゼロに終わりそうだ。日本人の受賞者が続出するようになってきた2008年以来、3回ばかり途切れることはあったが、それでも毎年のように続いた。この間の受賞者は、外国籍に転じた人3名を含めると、物理や化学を中心に12年で16名に上る。

 

 それらの受賞理由を見ると、その大半は数十年前に成し遂げられた基礎研究である。それが実用化へと進展し、後年人類のために広く役立つようになったものである。しかし、昨今の状況をみると、そのような将来性のある芽がだんだん小さくなっているようだ。よく、失われた20年などといわれるが、ノーベル賞受賞者の動向についてもこの先が危ぶまれるのではなかろうか。

 

 ノーベル賞の、科学技術系の元になるのが国際的に認められた論文数であろう。直近3年間の年平均を国別に見ると、中国305,927件、アメリカ281,487件、ドイツ67,041件、そして日本が64,874件となっている。数だけが問題ではないが、上位2国との差は衝撃的とさえいえるほど大きくなっている。

 

 よく、「失われた20年」などといわれるが、1991年・平成3年にバブルがはじけて以降、日本の国力は相対的に低下傾向にある。まず、大前提となるマンパワーであるが、ピークと思われる1990年と最近の2015年を比較してみると明瞭である。日本の総人口は1億2千7百万人と、世界の10位を維持しているが、10億人をはるかに超える中国やインドに比べると10分の1以下である。年齢構成で見ると、15歳から64歳までの働き盛りの比率は69.5%から60.8%に低下、逆に65歳以上の高齢者は12.0%から26.6%に激増している。

 

 最近のGDPを国別に比較すると、アメリカ205,800億ドル(一人当り62,869ドル)、中国133,680億ドル(一人当り9,580ドル)、そして日本は49,720億ドル(一人当り39,304ドル)となっている。GDPでは、日本は長年2位を維持していたが、数年前に中国に追い越されこんなにも差がついてしまった。

 

 ところで、巣ごもり中にテレビでこんな新曲を聴いた。五木ひろしさんの「遠き昭和の・・・」、そして森進一さんの「昭和・平成・令和を生きる」という歌である。あれ?二人ともこれを最後に引退するのだろうか。昔はよかった!と過去の栄光を懐かしむようになったらもうぼつぼつである。なんだか、日本中がそのような気持ちになっているのではないかと心配になってきた。

 

 平成の世に沢山輩出されたされた日本人のノーベル賞受賞者は、昭和のころ種を撒き培われた努力が数十年後に花開いたものである。はたして、平成の失われた20年の間に、どれだけ多くの新しい種を撒き育てることができただろう。このままでは、昭和が遠くなるとともに、ノーベル賞も遠ざかってしまうのではなかろうか。いつまでも昭和の栄光を懐かしんでいる場合ではあるまい。

                         (2020年10月10日 藤原吉弘)