迎賓館赤坂離宮

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[エッセイ 487]
迎賓館赤坂離宮

 先日、老人クラブの日帰りバス旅行で、迎賓館赤坂離宮を訪れた。外国の元首クラスの来日や、重要な国際会議が開催されるとき、大抵ここが舞台となる。国会図書館の時代からその存在は知ってはいたが、訪れるのは初めてのことである。迎賓館となって以降、一般人が入れるようになったのはつい最近のことである。いまもそれなりに制限されており、入場には予約が必要である。

 一般人の入口は正面右側の西門だった。受付で空港なみの厳しい身体検査を受け、西側の出入口から本館に入る。順路に従っていろいろな広間を見て回る。もとの出入口から外に出て、今度は本館背後の大きな噴水のある主庭を散策する。最後に前庭に回り、中門をくぐって正門から外に出る。前庭の広い石畳と、中門から正門に至る芝生広場は手入れも行き届き実にゆったりとしていた。

 この迎賓館赤坂離宮本館は、東宮御所として建設されたのが始まりだそうだ。完成は明治22年(1909年)、地上2階、地下1階、幅125メートル、奥行き89メートル、高さ23メートルの壮大な建築物である。日本における唯一のネオバロック様式の西洋風宮殿建築だといわれている。

 この施設は、本来の目的にはほとんど使用されることはなかった。戦後十数年、復興が進み、国として外国の賓客を接遇するための施設の必要性が高まってきた。そこで、この施設の迎賓館への転用がきまった。5年の歳月と108億円の費用を投じて、昭和49年(1974年)迎賓館赤坂離宮として蘇った。

 開館以来、外国からの国賓や公賓の宿泊施設としてはもちろん、歓迎行事や首脳会談、あるいは晩餐会の舞台として活用されてきた。きらびやかな玄関ホール、贅を尽くした花鳥の間や羽衣の間など、まさに世界を相手にした夢の舞台である。また、重要な国際会議場としても、先進国首脳会議が3回、日本・アセアン特別首脳会議が2回など、常に外交の表舞台として活用されてきた。

 ところで、この迎賓館は、パリのヴェルサイユ宮殿やウィーンのシェーンブルン宮殿を模したものだという噂を聞いたことがある。さいわい、両方の宮殿を別々にではあるが訪ねたことがある。振り返ってみると、あまりにもヨーロッパ的なこの建物は、あらゆる点で両方の宮殿に酷似している。今回、この迎賓館を訪れ、そのような話が当たっているようでやや複雑な思いを抱かされている。

 この本館と正門、主庭噴水池などの主要付帯施設は、平成21年(2009年)に国宝に指定された。明治以降の建造物としては初めてのことだそうだ。しかし、せっかくの国宝が、実は外国の模倣だとしたら、なにかとても寂しい気持ちにならざるをえない。まして、世界中の要人たちの前で、日本が誇る外交の檜舞台だと胸を張りきることができないとしたら、なんとも悲しい話ではなかろうか。
(2018年6月16日)