香りのキンモクセイ

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[風を感じ、ときを想う日記](995)10/7

香りのキンモクセイ

 

 町内を歩いていて、一軒おきくらいにキンモクセイに出くわす。あの香りに出会うたびに立ち止まり、つい辺りを見回してしまう。そして、その存在を確かめると、安心してまた歩き出す。たいていの人は、それを見つけてから香りを確かめるのではなく、その香りに鼻で気づいてから目で確かめる。人間とキンモクセイとの関係は、香りによって繋がっているといっていい。

 

 キンモクセイは、庭のある家ならたいてい一本くらいは植えられている。いわば、庭木の定番である。戸建て住宅の庭は、私たちの目を楽しませるための空間といえよう。そこに、なぜ見栄えのしない木が植えられているのだろう。常緑樹ではあるが、樹形や葉っぱはそれほど見応えのするものではない。木肌と云えば、木犀という名のとおり動物のサイに似てお世辞にも美しいとはいえない。

 

 かくして、キンモクセイは花の時期だけ注目されることになる。その花も、金色ではあるが形は観賞に堪えられるようなものでは決してない。どうしても、その香りだけが頼りということになる。いま、開花期の貴重な時間を得て、その香りのアピールに余念がないというところである。

 

 幸い、日本には香道という古くからの高尚な文化がある。この道では、香木のかおりは嗅ぐものではなく聞くものだそうだ。キンモクセイの香りも聞くことができれば、一人前のキンモクセイ通といわれるようになるかもしれない。