ブダペスト

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[エッセイ 314]
ブダペスト

 かつて、隅田川の右岸は武蔵の国、対岸の東側は下総の国と呼ばれていた。その両方の国を結ぶのが、1661年に完成した全長200メートルの両国橋である。1686年、江戸の膨張に伴って下総の国の南葛飾郡は武蔵の国に編入される。二つの国の境界線は東側に大きく移動したため、両国の名前は実態にはそぐわなくなった。それでも、“両国橋”はいまも隅田川を代表する橋である。

 ハンガリーにも似たような話がある。ドナウ川ハンガリー北部の両岸には、川を挟んで二つの大きな町があった。右岸の西側は丘陵地帯に拓けたブダ、対岸はペストという平地に広がる町である。1849年、両方の町を結ぶセーチェニくさり橋と呼ばれる全長375メートルの吊り橋が架けられた。

 両方の町はいっそう結びつきを強め、1873年、合併してブダペストと呼ばれるようになった。いまや、170万人の人口を擁する中央ヨーロッパ屈指の大都市に成長した。この美しい町は“ドナウ川の真珠”と称えられ、そこに架かるこの橋はブダペスト観光のそしてドナウ川クルーズの目玉となった。

 セーチェニくさり橋は、この橋のスポンサーとその形状に由来して名づけられたといわれているが、その実態はブダとペストを結ぶ鎖にほかならない。この橋のブダ側の袂、クラーク・アーダーム広場にはハンガリーの道路原票が設置され、この橋が名実ともにハンガリーの中心であることを証明している。

 私たちは、ツアー4日目の夕方この町に入った。夕食後 “イルミネーションクルーズ”と呼ばれる夜間のドナウ川クルーズが予定されていた。船は夕焼けの中を、ペスト側からゆっくりと岸を離れ、緩やかな流れに乗って下流へと向かった。左手には、夕日に輝く国会議事堂が、やがて右手には王宮が見えてきた。ほどなく、くさり橋をくぐる。両岸には何千トンという大型のクルーズ船が何隻も係留されている。まるで、川に浮かぶ大型の豪華ホテルである。

 クルーズ船は、夕闇の迫る中を下流でUターンした。いよいよクライマックスである。丘の上には王宮が浮かび上がる。正面に鮮やかに縁どりされたくさり橋が迫ってくる。何十回となく、夢中でシャッターを押す。闇に浮かぶ国会議事堂を右手に見ながら、約1時間の船の旅はあっという間に終わった。

 翌日は、早朝から英雄広場、聖イシュトヴァーン大聖堂、ゲッレールトの丘、漁夫の砦、そしてマーチャーシュ教会と、有名な観光スポットを精力的に見て回った。しかし、前夜の印象があまりにも強烈だったためだろうか、どこへ行っても上の空のままポイントを通過するだけの観光になってしまった。

 この夏は、屋形船で隅田川を流しながら、ドナウ川とそこに架かるくさり橋の思い出に浸ってみたい。
(2011年7月17日)

写真 上:ドナウ川クルーズ船からの夜景(くさり橋と丘の上に建つ王宮)
    下:ゲッレールトの丘からの眺望(左ブダ、右ペスト、中央ドナウ川とくさり橋)