第二のふる里

イメージ 1

[風を感じ、ときを想う日記](503)4/21
第二のふる里

 第二のふる里という言葉をよく耳にする。たいていは、親元を巣立ち、新しい独立した生活をスタートさせた居住地をいう。ところが、私の第二のふる里は、会社に入り最初に配属された事業所の所在地がそれに当たるといっていい。

 勤務時間が極端に長く、一日の大半をそこで過ごした。土曜日は、午後3時までとはいえ正規の出勤日だった。日曜や祝日の休日出勤も結構あった。三度の食事は会社の近く、たまに宿直まで回ってきた。生活の場は、世田谷のアパートより八重洲の会社により多くの比重がかかっていた。

 その八重洲を第二のふる里とする、私にとってはもっとも古い同僚たちで八重洲会という親睦の会をつくっている。メンバーは、当初何百人もいたが、年々減り続けいまでは七十数名にまで細っている。つい先日の木曜日、そのうちの34名が参加して、八重洲のホテルで懇親パーティーが開かれた。

 開催すら危ぶまれた大震災直後の、昨年4月の会合より10名も多い。おまけに、数十年ぶりの再会という人も数名混じっていた。時の移ろいと大震災の影が、人の心を大きく揺り動かしたのかもしれない。

 私たちの拠点である八重洲の事務所は、その後日本橋に移った。そんなことから、この会への新規加入者が現れることはなく、いずれ消えゆく運命にある。それでも、できるだけ太く永くその灯を燃やし続けていきたいと思っている。