悪夢への防御壁

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[風を感じ、ときを想う日記](423)3/14
悪夢への防御壁

 昭和50年代前半、仙台に勤務していたころ、仕事で何度も三陸地方を訪れた。とくに印象に残っているのが、田老町(現宮古市)の大防潮堤である。この地は、過去何度も大津波に襲われた。ここに住む人たちは、それに打ち勝とうと、長い歳月と多額の費用をかけて巨大な城壁を築きあげた。

 海面からの高さは10メートル、総延長は2,433メートルにも及ぶ。“田老万里の長城”とも呼ばれ、ギネスにも登場する。その雄姿は、壮観というより威圧感をもって私たちに迫ってくる。今回の津波は、その大防潮堤を軽々と乗り越え、人々はもとより街のすべてを飲み込んでいった。

 巨大津波が引いた後の沿岸の町々は、大空襲のあとの東京の下町を連想させる。昨日までのにぎわいは、瞬時にしてその痕跡すら奪い去られた。どこに何があったかさえ定かではない。道路の跡らしい筋状の痕跡と、わずかに残るコンクリートの建物が、そこが街であったことを物語っている。

 住む家を、職場を、そして肉親さえも奪われた人たちは何十万人にも上るはずだ。その人たちには、復興に向けてなんとか気持ちを立て直してもらいたい。この地震列島に住む人みんなで、手を携えて被災された人たちを支えよう。

 みんなで鉄壁の防御壁に築きなおし、元の住民にあの街に帰ってきてもらおう。悪夢を克服することこそ、犠牲者へのせめてもの供養となる。