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[エッセイ 295]


 私の初めての転勤は、ようやく中堅といわれるようになった37歳の時だった。それまでの10年間は公団住宅に住んでいた。家賃の半分以上を会社が持ってくれるので、地方に出るときくらいは一戸建てに住みたい。通勤は多少不便でも、たとえ粗末な建物でも、家族は庭付きの一軒家にあこがれていた。

 そんな願望がまがりなりにも叶なった。仙台の郊外、当時はまだ泉市といっていた。山を削って造成された新興住宅街の一角に、一区画を半分に仕切って貸家が2軒建てられていた。仙台中心部の事務所まではバスで30分以上かかったが、小学生の子供たちが住むには理想的な環境だった。

 道路に面した南側は庭になっていた。しかし、木は一本も植えられていなかった。いくらなんでも更地のままでは寂しいと、近所の空き地から萩を一株抜いてきた。植えつけた木はすぐ根付いたが、およそ庭木としては似つかわしくなかった。“やはり野に置け宮城野萩”であった。

 萩はマメ科ハギ属の落葉低木、原産地は日本をはじめ韓国、中国あたりである。日本には十数種類が全国に散らばっている。丸葉萩、白花萩、錦萩、山萩、木萩、筑紫萩、そして宮城野萩などである。私が借りた住宅の庭に植えた萩はもちろん宮城野萩であった。

 萩は秋の七草の一つである。七草のひとつではあるが草ではなく木である。ところが、木とはいいにくい面も持っている。茎は木質化して硬くはなるが、幹があって太く上に伸びていくわけではない。毎年株の根元から新しい芽が出て、斜め上に向かって四方八方に伸びていく。そこに小さな丸い葉っぱが芽吹き、秋になるとピンクと白の可愛い小さな花で彩られる。

 萩の語源が「生え芽(ぎ)」といわていたのも、古い株から新しく芽を出すことからそう呼ばれていたらしい。ハエギがいつの間にかハギに変わり、やがて萩という字が当てられるようになった。この萩という字は、ハギが秋の代表的な花であることから、秋に草冠を載せた日本生まれの当て字らしい。本家の中国にも萩という字はあるが、まったく別の花だと聞いている。

 萩は古くから日本人に愛され、万葉集には141首も取り上げられている。その歌集に詠まれた花の数では最多だそうだ。萩の花言葉は、思案、想い、前向きな恋、内気、物思いなど秋にふさわしい奥ゆかしいものばかりである。萩は、荒れ地に真っ先に生えてくるパイオニア植物である。仙台の借り上げ住宅は、山を削っただけのやせ地にあったが、手植えの萩は見事に育った。

 パイオニア精神に満ちみちていながらも、内面は思慮深くその振る舞いはあくまでも控え目を装う。いま思えば、萩は新任地に赴く中堅社員にとって、もっともふさわしい花だったのかもしれない。
(2010年11月6日)