実感は晩夏

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[風を感じ、ときを想う日記](1057)8/21

実感は晩夏

 

 実感ではまだ夏、しかも、一週間も続いた長雨をくぐり抜けてやっと取り戻した夏である。しかし、暦ではとっくに秋になっている。明後日には、「処暑」さえ迎えようとしているのだ。まさに、実感では「晩夏」、暦では「初秋」である。そういえば、昨夜眺めた月は十三夜、さすが秋の名月に相応しい美しさだった。

 

 近年、早朝に2回目の生理現象で起こされる。梅雨明けのころは、日の出を待っていたかのようにクマゼミがうるさく鳴き、ウグイスさえさえずっていた。ところが最近は、夜明けも遅くなり、セミの声もミンミンゼミだけになっている。美しい声のウグイスは去り、カラスがうるさく騒ぐだけである。

 

 季節について行けなくなったのはこの家の住人だけではない。庭に植えられた高齢のサルスベリが、今ごろになって最盛期を迎えた。一週間前に植木屋が剪定に来てくれたとき、花はまだまばらだった。植木屋は「枝を下ろしますか」というので、「いや、この木は奥手なので触らないで」といったばかりである。

 

 鉢植えのアサガオもまたしかりである。やはり植木屋に「まだ咲き出さないの」と馬鹿にされたが、「この花も奥手だから、いまに咲くよ!」と弁護したばかりだった。それが、ここ数日控えめながら数輪ずつ花を付け始めた。

 

 夏の花のはずが、秋の声を聞くようになってやっとエンジンが掛かり始めた。彼女らにとっては、住人同様いまが夏なのかもしれない。