たばこ依存症

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[エッセイ 293]
たばこ依存症

 今月からたばこが大幅に値上げされた。買いだめに走った人、これを機会にやめようと苦闘する人、愛煙家にとってまた一段と厳しい季節がやってきた。

 私の場合は、7年前の値上げを機会に44年間続いたたばことの縁を切った。喫煙へのこだわりを捨て、禁煙後の副作用も心配しないことにした。ガムなども試してみたが、かえって意識を刺激してしまうのでそれもすぐやめた。喫煙は単なる癖であり、時とともに喫煙へのこだわりは自然と薄れていった。

 たばこをやめても、心配された禁断症状や副作用は出てこなかった。よくいわれるニコチン中毒などはなかった。ただ一つ、車の運転中に眠気をもようしてくるようになったのには困った。たばこにはそれなりの覚醒効果があったようだ。しかしそれもいつの間にかなくなっていた。

 たばこをやめてから、喫煙に伴う社会への遠慮や余計な気遣いが必要なくなった。たばこ臭いといわれることもなくなった。たばこに起因する病気を心配する必要もなくなった。気がついてみると、咳や痰が出なくなり、歯肉炎もいつの間にか消えていた。もちろん経済的にも随分と楽になった。

 それにしても、いま改めてたばこについて考えてみると、喫煙者も税務当局もあまりにもたばこ依存症に陥っているのではなかろうか。ギャンブル依存症買い物依存症とおなじように、逃げ込む場所がほしいだけなのに、喫煙者の多くが自分はたばこ中毒だと思っている。単なる癖なのに、たばこがないといい仕事ができないどころか、生きてさえいけないと思い込んでいる。

 税務当局は、税は取りやすいところから取ればいいという貧しい発想しかないのだろうか。何のポリシーもないまま、特定の人に重税をかけるのは甚だしく公平を欠いている。政府が本気でみんなの健康を考えるなら、いまの数倍の重税にして小売価額を一箱1000円程度にすべきである。

 禁煙したい人がいたら、経験者の言うことにぜひ耳を傾けてほしい。喫煙者は、自分が考えている以上に我儘に振る舞い、気付かないうちにみんなに迷惑をかけている。値上げは、社会が自分にくれた禁煙のチャンスと考えるべきだ。

 もし禁煙をしたいのなら、たばこを吸わないようにするだけでいい。余計なことは考えず、言い訳の種を探したり、それを気に病んだりしないことだ。喫煙者は病気などではなく、単に悪い癖をもっているだけなのだ。どうしても逃げ道が必要なら、深呼吸でもすればいい。お茶でもコーヒーでも飲めばいい。

 世間は、禁煙挑戦者のことをもう少しそっとしておいたらどうだろう。社会の強い関心は、彼らの意識を刺激しかえって逆効果になる。医師や薬局の積極的な支援は、挑戦者の腰を引かせることにもなりかねない。たばこ追放の秘策は、喫煙者には大いに関心を向け、禁煙挑戦者には無関心を装うことである。
(2010年10月4日)