たばこ

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[エッセイ 2](既発表 6年前の作品)
たばこ
 
 今日の新聞に、たばこがまた値上げされるという記事が出ていた。政府が、たばこの増税を新年度の予算案に織り込むことを決めたというのだ。いったい、彼等はどうしてこうも「弱者」を狙い撃ちにするのだろう。
 
 およそ15年前、私は疲労からくる一過性の不整脈にかかったことがある。幸運にも、その時は2日ばかりで完治した。その主治医は、たばこはやめたほうがいいよとやさしく諭してくれた。その一方で、心臓に多少なりとも不安を持つ人にとって、喫煙は自殺行為だ、と脅かすことを忘れなかった。

 その後、増税によってたばこは何回か値上げされた。私の正義心は、そのつど抗議の声をあげようとし、いつも声なき声に終わった。せめて不買運動をと禁煙にも挑戦したが、これとてはかない抵抗でしかなかった。結局、いつものとおり買いだめに走るのが落ちであった。

 昨年の6月、家内とともにアメリカの東海岸を旅行した。成田で、飛行機に乗り込む前に一服吸っておこうと思い喫煙所を探した。しかし、それらしき場所はどこにも見当たらなかった。係員に聞けばすぐわかるかもしれないが、このあとどうせ十何時間も吸えないのだから、いまさらじたばたしても始まらない。そう考えてすなおに機内に入った。

 たばこなんか、その気になればいくらでも我慢できる。そう思ってなるべくそのことを意識しないようにしていた。だが、そのように努力すればするほどそのことが気になりだした。離陸後まもなくして食事が運ばれてきた。外国のビールを味わいワインもたしなんだ。狭い場所ではあるが、食事もそれなりに満足できた。

 背もたれを倒し、ゆっくりとコーヒーを味わっていると、幸福感とともに眠っていた意識がむくむくと頭をもたげてきた。「吸いたい!」、そう思いながらも、いつのまにかうとうとしていた。ふと、右手が肘掛につけられたままになっている灰皿に触った。寝むっていた意識がすぐに目を覚ました。こんな葛藤をいつまで続ければいいのだろう。
 
 10時間半ののち、全日空機はシカゴに降り立った。私の苦闘も最終着陸地点に入ろうとしているが、禁煙による体への悪影響はどこにも見られない。私は、この機会に禁煙しようと決心した。

 入国手続きを済ませターミナルビルを出たとき、そこにある喫煙コーナーで数人の旅行客がうまそうにたばこを吸っていた。「そうだ、成田で買ったデューティーフリーのマイルドセブン十箱が、全部無駄になってしまう」。

 ついに、私はたばこに火をつけた。満足感がジワーッと全身にしみわたっていく。私の崇高な決心は、白い煙とともにアメリカの青い空に消えていった。
(2002年12月6日)

注)後日談をこのあとに掲載しました。