雨の大和路

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[エッセイ 267](新作)
雨の大和路

 旅の3日目は、雨の中を大和の山中に佇む3つの由緒ある寺社を訪ねた。

 最初に訪れたのは、藤原家発祥の地・談山神社である。大化改新(646)につながる乙巳の変(645)の密談が行われたという多武峯山の麓にある。もとは多武峯寺という神仏習合の寺であったが、明治の神仏分離令により神社に一本化された。社名は、中大兄皇子(626~671、後の天智天皇)と藤原鎌足とが密談をしたとの伝承に由来するそうだ。創建は678年、祭神は藤原鎌足である。

 その藤原鎌足(614~669)は、もとは中臣鎌足と称したが、生前の功績により死の間際に天智天皇から藤原という名字をいただいた。藤原家はここに源を発する。社殿は、日光東照宮のモデルとなったといわれるほどきらびやかであるが、元はお寺であっただけに寺院風の雰囲気を随所に残している。

 次に訪れたのは真言宗豊山派総本山の長谷寺である。“長谷寺といえば鎌倉”と思っていたが、こちらが総本山だそうだ。ここの御本尊は十一面観音であるが、開山にあたっては一本の楠の大木から二体の観音像が彫られたという。

 その一体はこのお寺に安置され、あとの一体は祈請のうえ海に流された。15年後、その観音像は三浦半島に流れ着いた。鎌倉の長谷寺は、それを御本尊として開かれたという。いずれも8世紀前半のことと伝えられている。

 最後に訪れたのが女人高野の室生寺である。名前を聞いただけですぐ田川寿美の「女人高野」(作詩・五木寛之)を思い起こした。高野山が女人を厳しく禁制していたのに対し、室生寺は女人の済度をもはかる真言道場として女性の参詣を許した。室生寺は、いつしか女人高野と呼ばれ親しまれるようになった。

 足もとを気にしながら石段を上っていくと、金堂、本堂、そして五重塔へとたどっていくことができる。これら3つの建物はいずれも国宝だという。私たちは、雨の降りしきる中をさらに先の奥の院を目指した。石段が一直線に天に向かって伸びている。一段ごとの高さも結構厳しい。踊り場がまったくない。うっかり足を滑らせたら、何十段も一気に滑り落ちてしまいそうだ。

 やっと一番上までたどり着いた。質素なお堂が建てられていた。家内が、お坊さんに石段の数を聞いていた。なんと、入口から数えると全部で720段あるという。最後の直線の石段は400段もあるそうだ。あの金毘羅さんの石段は785段だと記憶しているが、それよりはるかに厳しく感じられた。

 長いながい石段の先には、自身の知らない自分がいる。永いながい歴史をたどっていけば、先人たちの創りあげた知恵が垣間見えてくる。歴史とロマンに満ちた深山幽谷に身を置くとき、自分自身にもまた新たな境地が開けてくるようだ。大和路の魅力は、柿の葉寿司やうーめんだけではなかった。
(2010年1月5日)

写真 上:十三重塔(重文 談山神社
   下:五重塔(国宝 室生寺