[風を感じ、ときを想う日記](970)6/15
市内の、アジサイの名所といわれるところを訪ねてみた。アジサイなどどこででも見られるので、わざわざ出かけるほどのことでもない。しかし、今年はそれなりに意義がある。出かけること自体が、巣ごもりの気晴らしになる。
そういえば、かつては鎌倉の明月院や長谷寺にわざわざ足を運んだ。これなど、名所といわれるところに行くことに意義があって、それ以上でも以下でもなかったように思う。一度行けばもういいや、ということにもなりかねない。
ところで、アジサイといえば、過去にもブログで何度も書いた。この小文を書くにあたって、いままでにどんなことを書いたかキーワードで検索してみた。投稿数は思ったよりずっと少なかった。意外に思い、手書きの目次で追ってみた。理由はすぐに分かった。「紫陽花」と書いたことの方が多かったのだ。
花はもとより、生き物の名前はなるべくカタカナで書くようにしているが、この花に限っては漢字の方がその特性をよく表わしている。あの七色の美しさや変幻自在の妖しさは、紫陽花をおいてほかにぴたりくる言葉は見当たらない。
今回訪れたのは、小糸川の源流部分である。その両岸約500メートルにわたって植えられた「花とせせらぎの道」のアジサイである。例年アジサイ祭りが行われるが、さすがに今年は見送られることになったようだ。
静かな分、紫陽花の美しさを独占的に楽しむことができた。