香嵐渓

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[エッセイ 262](新作)
香嵐渓

 「どうせ枯れ木を見に行くようなものだろう」。実際にそうだったとき、がっかりしないようそう自分に言い聞かせてきた。紅葉の見ごろは11月下旬までといわれているのに、12月に行くのだからそれくらいの覚悟は必要である。ましてここは、東海地方とはいえ山の中、平地より早く終わってしまうに違いない。

 絶景ポイントといわれる飯盛山の対岸、巴川に架かる待月橋(たいげつきょう)の赤い欄干のたもとまで来た。予想は悪い方に当たった。川面を真っ赤に染めているはずのカエデの林は、くすんだ茶色に変色していた。

 ところが、橋を渡って川沿いのカエデの林に入って驚いた。その先には錦のトンネルが続いていた。陽光を受けて、そのアーチは金色に輝いている。先へ進めばすすむほど、その輝きはまぶしさを増していった。折り返して、もう一段上の遊歩道に入ってみた。香積寺(こうしゃくじ)が近づくにつれ、錦の密度は厚みを増し、枝の黒い影とのコントラストがいっそう鮮やかになってきた。

 ここ、豊田市郊外の香嵐渓(こうらんけい)は大自然の中にあるが、4千本にも上るといわれるカエデの林は人の手によって作られたものである。香積寺第11世住職の三栄和尚が、お寺の参道や川沿いにカエデや杉を植え始めたのがきっかけといわれている。般若心経を1巻詠み終えるごとに1本ずつ植えていったという。和尚がこの事業を始めたのが寛永11年(1634年)、その後は住民ボランティアに引き継がれ、昭和の初めごろには現在の姿に整えられたという。

 それにしても、ここは季節限定の観光地なのではなかろうか。春にはカタクリの花がきれいだというが、紅葉の季節を除く1年の大半は、ただの寂れた村にちがいない。待月橋につづく門前町も、その間はシャッター商店街になるはずだ。旅行社の観光ルートに組み込まれていなかったら、全国版には到底なり得なかったであろう。それが、この季節だけは道路はまひ状態に陥り、待月橋は人がこぼれ落ちそうになるほど混雑するという。

 私は、現地を訪れるまで、ここは単なる谷あいの村だと思っていた。ところが、香嵐渓のある足助(あすけ)という町は、かつては三州街道の主要な宿場町として栄えていたということを知った。太平洋側で作られた塩や茶は、ここを中継拠点に、飯田を経由して塩尻方面へと主に馬で運ばれていったという。もちろん、信州の産物もここを中継点に三河に運ばれていったそうだ。

 ここは、いまでは一年の大半が国道153号線の通過点でしかない。しかも、その国道はバイパストンネルができて街から外れたところを通るようになった。かの三栄和尚は、今日の過疎化を見越してカエデを植え始めたのであろうか。それにしても、偉大な財産を後世に残してくれたものではある。
(2009年12月11日)