会社OB会

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[エッセイ 79](既発表 5年前の作品)
会社OB会

 手元に、会社OB会の新しい名簿がある。私が38年間勤務した会社の、それも在職中それなりに活躍した人たちの親睦の会である。会員数100名。年齢順に並べられた名簿には、ちょうど70番目に私の名前が記載されていた。退職後わずか5年間でずいぶん「出世」したものである。

 この会の主な活動は、11月中旬の年次総会と春の小旅行の2つである。歳入は、個人の年会費と会社の補助それに行事のたびに徴収される臨時会費である。年会費は、個人負担だけで5000円とかなり割高である。これは、喜寿や米寿などの年齢の節目、金婚などの家庭生活の節目、そして人生そのものの最後の節目など、慶弔のたぐいの出費が突出して多いためである。

 先日、その年次総会に出席した。毎年必ず出てくる人、何年ぶりかで久しぶりに顔を出した人、相変わらず元気にはしゃぎまわる人、病み上がりらしくすっかり弱々しくなってしまった人など参加者はさまざまである。お互いの近況を語り、思い出話に花を咲かせる。もと上司と部下だった人たち、かつてはライバル同士で張り合った間柄の人たちもいる。今はこだわりもなく、一様に過ぎ去った昔話に酔いしれていた。

 しかし、会場は一流ホテルの華やかな宴会場なのに、人生の最終コーナーを曲がった人たちの集まりにはどこか寂しさとよそよそしさが漂ってくる。老いの坂道には、ネガティブな話題しか似合わないのだろうか。現状にしがみつき、前向きの話題など望むべくもないのだろうか。

 退職後数年間、私はそのOB会の会合に参加しなかった。久しぶりに会社の元同僚に会うことに、なにかとても気恥ずかしい思いがした。そして、現役時代の生々しさに引き戻されることに、大きな戸惑いを覚えていたためでもある。

 市場という戦場で、ライバル企業という敵と激しく戦ってきた戦友同士のはずなのに、なぜかあまり顔を合わせたくないという心理が働いた。人生の一番大切な時期に、一番多くの時間を過ごしてきた会社。自分自身と家族たちの、生活の基盤としてきた会社。そこで共に苦労してきた人たちと歓談することに、なんの遠慮も要らないはずなのに。

 戦い終わって日が暮れて。これが現在おかれている私たちの立場である。戦えば負けることもあり、争えば傷つくこともある。醜い駆け引きや足の引っ張り合いもあったかもしれない。しかし、納得できる経営戦略をもち、納得のいく企業活動さえ展開しておれば、退職後に引きずる後遺症はより小さくてすみ後味はいっそうさわやかなものになるはずである。

 後輩達に伝えよう。結果がすべてではない。いや、それ以上に、プロセスの納得性こそ後半生をも大きく左右することを。
(2004年11月17日)