イメージ 1

[エッセイ 94](既発表 4年前の作品)


 近所の畑に植えられた桃の木が、濃いピンク色に染まっている。春の喜びを率直に表現した底抜けに明るい色調である。この時期、甲府盆地を訪れると、その明るさは数万倍に増幅され、いやでも桃源郷を連想してしまう。

 その桃源郷陶淵明という人の書いた「桃花源記」に登場するユートピアである。晋の時代、太元年間(376~396年)のこと。武陵(湖南省)の漁師が魚を追って川を溯っているうちに、渓谷の奥深くにまで入り込んでしまった。

 すると突然目の前に、満開の花におおわれた桃の樹林が現れた。その先で流れは途絶え、こんもりとした小山が見えてきた。その麓には、人ひとりやっと入れるくらいの小さなほら穴があった。その奥は開けており、そこを通り抜けると目の前にはまったく別の世界が出現した。世に言う桃源郷であった。

 村人達の話によると、自分たちの祖先は秦の時代(紀元前221~前207年)、乱世から逃避するため、妻子や同じ村の人々とともにこの隔絶された土地にやってきたのだという。以降500年以上もの間、外世界との交流を絶って平和な理想郷を築いてきた。緑ゆたかな肥沃な大地。花咲き鳥がさえずる。そこは、争いや搾取のまったくない理想的な平和社会であった。いつの日か、この地上にも、本当の桃源郷が実現するかもしれない。

 中国では、桃は邪気を払う神聖な果樹であると信じられてきた。実が赤いので、「燃え実」が変化して「もも」になったという説がある。桃の字の「兆」は、女性の妊娠の兆しを意味しているといわれ、新しい季節の到来を告げる花である。桃は、花はもとより果実の形や色まで、どれをとっても女性を連想させるものばかりである。そのせいか、お雛祭りは桃の節句であり、花言葉は「チャーミング」と決められている。

 かつては、薬効あらたかとまでいわれていたその果実は、果物界の王様でもある。あの甘くジューシーな果肉、かぶりつくにはやや大きすぎるが、私の最も好きな果物である。初夏から真夏にかけて、猛暑を乗り切るには欠かせない大切なエネルギー源である。中国原産のこの果樹は、その文字が示すように、桜桃(さくらんぼう)、扁桃(アーモンド)、そして胡桃(くるみ)の兄貴分である。なるほど、桃の種は
くるみといわれても区別できないかもしれない。

 大伴家持は、「春の園 紅(くれない)におう桃の花 下照る道に 出で立つ 娘子(おとめ)」と詠っている。また松尾芭蕉は、「わが衣(きぬ)に 伏見の桃の 雫(しずく)せよ」という句を残している。花も実もあるこの果樹は、太古の昔から人々に愛され、いまなお愛されつづけている。できうることなら私たちも、名実ともに充実した、華のある人生を送りたいものだ。
(2005年4月18日)